日月星辰ブログ

Vive hodie.

犬王 感想

見た日:5/28 8:35 初日池袋トーホーシネマズの初回!

 

舞台挨拶とかはどうも新宿だったようだけど。

 

映像の表現がとにかく良かった。異形の子どものアクション、漁村の子供・友魚の泳ぎ、ハエのうんとたかってるひもの、盲目の人の世界の「見え方」、長い腕でアクロバットする踊り手、無論伝統的な猿楽の世阿弥の動きも良い、よい。

 

だからこそ!音楽を安直にロックにしてほしくなかったけども、監督がそれをお望みなら……仕方ない……

 

主演の声のお二人は森山未來とアヴちゃんだったんだけど、ゲイノウジンボウヨミは既に過去の話であるし、割と生な喋りの作品だったので、逆に溶け込む津田健次郎に途中まで全然気づかなかった。やはり声優さんすごい。

闇堕ちした瞬間、尾形で聞き覚えのあるあの陰々滅々とした声が聞こえてきて、「おったんかい!」となっていました。

ストーリーのネタバレは避けますが、昨今刺さりそうな「権力と創作」というネタです。当然のことながら権力は創作をむにゃむにゃするんですよ。そこんとこは定石に忠実ですし、そこはそうあってほしい。

 

足利義満の「芸術に対する顔の向け方」の権力者らしい曖昧さというか、評価するともしないとも言わんところ(彼に取っては問題はまさにそこじゃない)、いいシナリオだなーと思いました。彼らはそれを理解できない訳じゃない。理解してなお、叩き潰しにくるからタチが悪いのである。

 

さてロックの件。音楽の件よ。

割と周囲では評価が高くて一人で「アレ?」なんて孤独感を感じています。「鯨」の熱狂はわたし「ボヘミアン・ラプソディ」でも見たわ。日本公演で、会場全体が歌ってるシーンあったやん。他の曲もことごとくちょっと古めのロック。しかもUK、USの。

その頃のイギリスと南北朝時代の日本、クィーンと犬王のを並行して例えてみてね、という趣向なんだろうけど、納得いかないわ。初めの方のシーンで圧倒的な「帝の御威光」を描いておいて、ありゃ勝てねぇ と思わせといて、中世のおどろおどろを、近代化して矮小化してしまった。やるにことかいてアメリカやイギリスの音楽で。敗戦国の悲しさにまで思いを馳せちゃったじゃん。そういうことはあまり考えたくないし、全部見るとそれはノイズだなあと自分でも思ったわよ。「劇場でみんな歌ってほしい」とのことだからあの簡素な旋律(猿楽とのバランス的にもそこはまあ)なんだろうけど、ろーかいになってしまった私としては妙に冷めてしまった。「全く新しい趣向の芸術に皆が歓喜する」などというものを完全なフィクションで書くことの難しさはわかる わかるけどさ。オルタナティブロックになんの思い入れもない人が見てもわかるのそれ。

「あんたにはわかんなかったかーははは」と馬鹿にされてもこの点は構わんね。わかるわけないのである。それこそ文脈がない。頭が硬いとか柔らかいとかそういうのまっったく関係ないよ。音楽の場合は趣味という厳然たる第一ゲートが立ちはだかってるもんだからね、というにはあまりにも既視感があり過ぎた。私がぼらぷ未見ならまた話しは違ったんだろうか。いややっぱり感性で乗れなかった気がする。

ともかくも乗らせようとしてるのに乗れないのはとてもこう、居た堪れない。そういうリスクを冒してまで、あの趣向を選んだことはすごく良い、挑戦的だ、と思う。でも道連れにする先人は要らんかった。

 

クライマックスのダンスもせっかく嘘つき放題のアニメーションで、なんか現代バレエみたいなの見せられてうむむとなってしまったが、アレが犬王の堕落と解釈する人のつぶやきを見てへーそういう見方もあるのか…となったりしました いやあれ、最高のショーとして描いてるでしょ……そうじゃないと戻らないよ、アレが。

「彼らは語ってほしいんだ」と言いながら、肝心な語りも音楽のせいで私に取っては印象がぼやけてしまった。そこ肝心なところじゃん、とは思ったけど、そこはそれこそ、文字芸術とかの方が得意なとこだからまあ…