日月星辰ブログ

Vive hodie.

在宅ワークの終焉

タチアオイがもうこんなに咲いている。

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快適在宅ワークが終わってしまうのは残念だが、三年ほど前から通っている音楽教室から、レッスン再開のお知らせを今日、受け取った。在宅期間中は時間もあるし、煮詰まったときの良い気分転換で結構楽器を練習できていたので、なんとか久しぶりに先生にあっても恥ずかしくない…成果が上がっている、はずだ。

 

 リュートという楽器を習っている。正直人にあれこれ説明するのが面倒臭い。なんで? って聞かれても最近は答えないようにしようかと思っている。この機会にここに書いておく。

 両親が揃って、10年ほど前にリコーダーを始めた。他にもあれこれ(オカリナとか)挑戦していたようだが、リコーダーに落ち着いたらしい。リコーダーという楽器も奥深い。日本ではなぜか中学校までは一人一本配られるものだから、若干軽視されているような気もする。小学生は皆、ランドセルからニョッキリリコーダーの袋を跳びださせて登下校をしていた。どんな「普及教育」も功罪共にある。

 誰しも音を出すのはわりかし楽だが、その先どこまで追求できるか、は難しい、リコーダーはどうもそういう楽器のようだ。ちょっとピアノに似ている。あれも押せばまあ音はなる。いい音か、悪い音かは置いておいて。バイオリンなどが音を出すまでに一苦労するのとはちょっと具合が違う。だからバイオリンを習っているという子供は少ないが、ピアノを習っているという子供は割と多い。また学校教育の話だが、小学生の教諭になるにはピアノが弾けなきゃいけないのだ。なぜかは知らんが。

 入門は広いが建物の中はでかい、という共通点があるが、リコーダーの場合は「楽器沼」もある。ピアノだってまあ、天井知らずのお値段だが、あれはまあ、最初から高いじゃん。リコーダーは下手するとおもちゃの500円でもまあ音はなるのである。ところがいろいろな音程やら、材料やらにこだわり出すと天井がどんどん高くなる。この間、両親を伴って銀座の山野楽器に行った際に、リコーダーのフェアをやっていたので覗いてみたら、しきりと二人ともため息をついていた。何十万もする、見るからに芸術品らしい、艶々した木のやつとか、門外漢の私でも高そうだしちょっとほしいなと思ってしまった。

 さて、そのようにして広い門からそこそこ——建物の内部に入り込んだ両親は、今は同好の士と共に四人編成の合奏をやっているそうだ。そこでどうも「伴奏がほしいね」という話が出たらしい。出たのは五年ぐらい前で、で、まあ「リュートなどやってみる気はないか?」と言われたのである。小学校から高校までの9年間、鼓笛隊からブラスバンド部には所属しており、それなりにバリバリとやっていたが、弦楽器は初めてである。それこそ中学の授業でギターを持たされ、「茶色の小瓶」を引いた程度だ。しかし、老父母の頼みを聞くならば早い方がいい。老人の一年は若者の十年という。まあ私ぐらいなら五年ぐらいか。早く始めなければ、と思ってあれこれ調べているうちに一年少し経ってしまった。調べていてわかったことは、都内ならばまあ、教えてくれる人がいなくもないこと、あとは楽器が結構高い!ということである。

 清水の舞台から飛び降りようか、どうしようかあぐねていたところに当時Twitterで知り合った人が、「いらないリュートがあるから」と呟いていた。何その渡りに船。連絡をとって、譲ってもらい、うちに比較的安価にリュートがやってくる。と同時に今の教室に申し込んだ。内的動機の面では若干動機付けが弱い。人のため、というのはなかなか続くようで続かない、と思っていたら、まあ最近はようやくそこそこ、弾けるようになってきた。昨年、一昨年と父の歌に合わせるということもやった。実は父は、リコーダーなどよりも歌の方がアレで、大学時代からサークルに入ってバリバリ歌っていたそうだ。で、ダウランドとか歌ってもらった。

 父が歌えるのはいつまでだろうか、あと十年はいけそうか、などと思いながらも、そのうちリコーダーのカルテットにも貢献がしたいと思っているが、私などよりも両親の方がのんびりしており、まあそのうち、と言って楽譜を探そうとかそういうそぶりは見せない。そのうち、いい楽譜が見つかったら頂戴よね。

 

本日のご飯

残り物野菜とひき肉でスープを自作してラーメン食べた。

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