日月星辰ブログ

Vive hodie.

感想:「聖なる陰謀 アセファル資料集」ジョルジュ・バタイユ マリナ・ガレッティ編(ちくま学芸文庫)

文庫は文庫でも価格も高いし読み出があるシリーズと言えばちくま学芸文庫講談社文芸文庫、同社学術文庫、岩波文庫あたりだが、その中でもなんとなく本棚の占有面積が広いとかっこいいみたいなのがちくま学芸文庫だと思う。うわ何このめっちゃバカっぽい書き出し。

 私が学生の頃に流行っていたのはドゥルーズとか、バフチンだったような気がするが、それより以前からなんかみんな好きというか気になっていたのがニーチェユングバタイユなのではないか、と思っている。とりわけバタイユはそのアナーキーなイメージからファンが多いイメージ。ユイスマンスとかとなんとなく同じ棚に入っている感覚がある。

 フランス文学にあまり興味を示さないで40年ほど生きてきてしまったし、哲学というとそれに輪をかけて知らんかったので、本棚にこの本を見つけた時は正直いつ買ったんだよ、と思った。背面に赤い丸ぽちシールが貼ってあるので、バーゲン本か、古本であろうと思う。名前は知ってるけど読んだこともないと言う本を急に10冊程度買い込んだりすることがあるので、多分そう言う時に何某かのアンテナに引っかかって、買っておいたんだろう。リスが腐葉土にどんぐりを埋めておいて、知らんうちに芽が生えていた、みたいな話と似ている。

 積読積読なりに意味があり、いつかは手に取るもんだから、という思想は確かにどこかしらにはあり、こんまり先生のなんでも捨てちまえ教と健闘している。いやこんまり先生のおっしゃる通り、ときめきに従ってがんがん捨ててもいいものかもしれないけど、私はまだ精神が未熟だから、こういう本を平気で捨てかねない。どうせ一生わからないだろ、と思ってしまったらおしまいですよ試合。

 本書はジョルジュ・バタイユが1930年代に企てた秘密結社「アセファル」について、その構成メンバーや候補メンバー、そうでもないメンバーとやりとりした書簡集のようである。「アセファル」は雑誌も何号か発行していて、ニーチェを特集したり、神秘思想を特集したりしてたみたいだが、そうしたことは書簡のなかから推し量ることしかできず、「ほらこんな表紙のやつですよ」とか写真が載っているわけでもない。その肝心な雑誌の内容が不明のまま、書簡だけをつらつら読み進めるのは正直結構つらいものがある。ましてこちらは、バタイユについてはほとんど何も知らないのである。

 どんな本から入門しても、とりあえずそれを読み通し、必要に応じてじわじわと、ショートケーキを目の前にした一匹の小アリのようにじわじわとケーキの切れっ端をせっせと運び入れていけば、いつかはケーキもなくなるだろう、と思っている。そうしてケーキを完食したことはそれほどないし、いきなりいちご部分に投げ出されるよりもまずは遠景からケーキを眺めてみた方がいくらか作業はしやすいだろうが、今のところは無手勝流なのでいきなりいちごから行く。いや、ケーキの上に載っているアラザンあたりかもしれん。あの銀色の丸いやつ。

 バタイユのこと、もう少し知りたいな…///と思ってとりあえずウィキペディアを見てみたが、正直ぜんぜんピンと来なかった。ニーチェの研究してたのだったら、この本からも読み取れる。ただ、もともとはクリスチャンで、ニーチェに出会って無神論者になった、と書いてあったのはへーとおもった。特に初めの方はニーチェに関する記述がいっぱい出てくる。どうも「アセファル」でニーチェ特集をやったみたい。

 書簡の中では当時のヨーロッパ人だったら誰もが気になってしょうがなかったファシズムのことはもちろん、コミュニズム(つまり、マルクス)についても言及がある。あと、フレイザー。とりあえずわからないところは片っ端から調べて調べまくり、もう一回戻ってこればもう少し解像度が上がるかもしれない。やっていることはそうした思想に関する研究やら(多分)カフェでの討論、それに「秘儀」。モンジョワの砦というところの近くにある、雷に打たれて枯死した木の前で、義兄弟のちぎりみたいな血判的なやつをやっていたみたいだ。東洋人の我々からしたら「フーン」みたいな薄い反応になりそうなものだが(幕末の侍とかすぐ血判書くでしょ)、フランスの知識人のあいだではちょっと、いやかなり危ない感じがあったのかもしれない。

 資料は全部で102通。プラス1960年代になってからの補遺が四通。90通目あたりからじわじわと不穏な記述が入り始め、(資料90:「人間がその中を蠢く現実についての、まったくの幻想ではない唯一のイメージとは、人喰い神のイメージだ」、資料98:「僕が君に言った最後の言葉に対して、拒絶が帰ってくるのを待っているだけだ」、資料99:「私はあなたたちに、私に対するあらゆる絆から自分は自由である、と考えてくれるよう求める。私はただ一人でいることになるだろう」、資料102:「僕の意見では、バタイユ問題などというものはもうおしまいなのだ」)どうも決定的な決裂をむかえたもの、らしい。手紙の断片だし、ほのめかしどころか一回読むだけじゃ何を指してるかどうかもわからないようなテキストもあるため、誤読の可能性も大いにある。もう一回、初めに戻って読んでもいいし、少しでもこ資料を読み解けそうな何某かの本を数冊よんでからまた帰ってきてもいい。

 余談であるが、どうもこの「アセファル」という秘密結社に、あの画家の岡本太郎も一瞬関わっていたらしいことが、本資料に書いてあった。大阪万博とか芸術は爆発だなどで俗的に消費される岡本のもう一つの顔が、ちらりとのぞいている。確かに…芸術が爆発である、というのはバタイユ的なのかもしれない。

「銀河の深さは死を前にした歓喜

 私は渦巻き目眩を引き起こす爆発の中に、自分が運び込まれるのを思い描く(資料92)」