日月星辰ブログ

Vive hodie.

映画感想:君たちはどう生きるか

まだ「岸辺露伴」についても話してないけど、とりあえず初見見たので。

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以下ネタバレ。

 

「一切の情報を前もって出さない」という宣伝方法ばかりが囁かれている作品である。宣伝戦略だのというと一気に大人の話になってくるが、その方法を考えた鈴木プロデューサーの「気持ち」の面を、なんとなく想像してしまう。マーケティングだの、プロデュースだの、そういう横文字がしばしば振り落とす、気持ちだの感情だの、お気持ちだのマナーだの、あるいは敬意だの、と言った湿った領域の話のような気がする。

 

おそらくは、一切の予断を持たせたくなかったんだろう。敬意として。ジブリ作品、というか宮崎駿作品にはしばしば、「風がそう言ってる」とか、そういうセリフが出てくる。人間の言葉で明示的に語られたり、変な理屈を見せてしまうと、魔法みたいなものがたちまちに解けるのだと言うことを、再三作中で語っているのである。そんな監督のマジカルな幻を、やれティザービジュアルだの、キャッチフレーズだのと言ったもので汚したくなかったんだろうなーと、思ってしまう。

もうここをのぞいている人は見たものとしてネタバレをガンガンしていくが、作品は太平洋戦争の3年目、東京から始まる。少年、真人は空襲で母を亡くし、山深い疎開先のお屋敷に引っ越してくる。

ああ戦争ものか、齢80の宮崎御大がいよいよ自らの戦争・戦後体験について語ろうというのだ、まあジブリにも火垂るの墓とか?あったし?みたいな予断がまずくる。この情報が漏れればフィルムを見る前に来るんである。全部見た人ならまあ分かると思うけど先の戦争は実はあまり作品の本質に関係ない。大体宮崎監督は1941年生まれで、戦争時代など物心つくかつかないか、のはずだ。あの映画で言うと最後に出てくるぼうやくらいの歳だろ、あの時代。戦争のことなんてそこまで生々しく体験してないはずなんだわ。親兄弟が語ることは聞いたかもしれないし、戦争の傷跡の残った街は見ているかもしれないが。物心ついた時には何もかも終わっていて、ただ、敗戦でめちゃめちゃになった街の最中にあった、のだろう。多分。

 手塚治虫がたびたび少年時代の戦争体験を語るのとは違って、宮崎駿の「戦争」はだからもう少し客観的である。この映画における「戦争」や「疎開」もそうだ。主人公は坊ちゃんで、何人もの下女がいる、お城のような家に疎開する。そこには現実の戦争の悲惨さはない。あくまで時代と状況の設定のみで、やはり映画の中身はファンタジーなんだ、それも岩波少年少女文学全集的な、「くるみ割り人形」やら「千夜一夜物語」のようなファンタジーである。

 鳥に化身するお調子者と冥界をめぐる王子様、というとなんだか魔笛のようでもあり(青鷺には唯一無二のヒロインはいないけど)、冒頭の現実パートと塔の秘密が明らかになる中盤以降のパートの温度差はそれこそ「くるみ割り人形」ぽくもある。ネバーエンディングストーリーとか、ゲド戦記とか、みんなが好きだったあの本、児童文学の詰め合わせのようなストーリー。

 表題にもなった「君たちはどう生きるか」は少年少女向けの啓発本ふうの作品ではあるが、詩情に溢れていて、素直に読んでよかったなと思える優れた作品なんだけど、それの素直な映画化ではない、というところに面白さもある。あのシーンでばらばらとこぼれ落ちる他の本たち、私の母が思い出の中にずっと持っていたシリーズとそっくりの装丁だった。「巌窟王」がどうしてもそのエディションで読んでみたいというから、古本屋で探して買ってプレゼントしたので、知っている。あんな本があるのはいいおうちか、それこそ私の母みたいに教師のお家とかでことさらにそういうことに気を遣っているお家だけであったらしく、それはそれは、宝物だったということである(それが何冊も積んである、というね…)

 宮崎駿が「理論化し難い職人の勘」とか、「説明が不可能な深淵なる哲学」のようなものに、作中でたびたび敬意を払っているのは冒頭にも書いた通りで、作品の中に広がる広大な世界は(地獄とも、黄泉ともつかない世界だ)これまた説明のつかない不思議な積み木の力で支えられている。「これで1日は持つ」ってなにがどう「これ」なのかさっぱりわからん。そういうの、成熟した芸術や職能の領域の話だと思っていたけど、よくよく考えたら子供の感性の話でもあるな。しばしば彼らの話は、理論や説明を飛躍して「こう」であることが求められる。脈絡がなくても支離滅裂でもともかくも「こう」なのだ。

 わざとらしい子供の内面の描写をなるべくしないでおこう、というのがある時期からの宮崎監督・ジブリ作品の特徴だと思っている。「ラピュタ」あたりまではどことなく大人のようだった少年少女が、だんだん自由になる。「君たちはどう生きるか」では子供が夢想する世界秩序のようなものが描かれているのではないか、と私は思った。

遺言作品だとか、なんとかという読みもあるらしいが、「これまでやってきたジブリのシチュエーションや映像技術」がちょいちょい出てくるのはたしかになんか、来し方をしみじみと振り返るような趣はあったかなあと思うんですけど、セキセイインコひしめく地下大都市のカタストロフが「遺書」というのはちょっとなんていうか…あまりにも無邪気にすぎやしないか と思わなくも、ない。