日月星辰ブログ

Vive hodie.

マッドマックス 怒りのデスロードの世紀末描写について思いを馳せる

見てきました。

 

邦題のハデハデ感に対して、原題は「Fury Road」とわりかしそっけないようですが、意味は「激怒の道」とかそんな感じですかね。80年台の日本の漫画っぽくて、ぴったりの邦題だと思う。

 

日本人にとっての「核戦争以降」といえば『北斗の拳』とか『アキラ』あたりのイメージなのでしょうが、アメリカ人は割りと水・石油・食べ物に対してシビアな視線を持っています。最近私が触れたそういう終末を描く作品だとたとえば『第六ポンプ』的な世界観、石油だろうが架空の第三の燃料だろうが、あるいは人力だろうが、人は常にそういうものに悩まされ、縛られている。大量生産・大量消費の旗手たるアメリカのこれもまたひとつの神話みたいなもんなのでしょうか。そのくせガソリンの引火性とかちょっとあまく見積もり過ぎなような気がしなくもないし、いったいどれだけ時間がたったのか知りませんが、核以降の不毛さはなんか違うような感じもする。人々が異形になってしまうのがひとえに核のせい、というのもへんな気もするし、どっちかというともっと複合的な汚染によるんじゃないかななんて思ったりもする。細菌とか。

 

本筋のストーリーはあくまで氷山の一角で、むしろ映画ではかけらも語られてない沈んでるところ含めて作品なのだ、崇め奉れ! というマニアックなつくりが最近のハリウッドの流行なんでしょうかね? そういう姿勢は個人的にはいけすかねーなー、と思うのですが、オタクはオタクの心を知る、とでもいうのは、オタク受けは日本でも良いようです。なんか、公開前にいくつもコミックが発売され、登場人物たちのサイドストーリーが語られた上での上映だったようなんですよね。えーアメリカンずるい そんな面白そうな供給があったのかよ! ってなる。そんなことされちゃ知りたいじゃんか。

 

「びっくりするほど中身が無い」「全編にわたってどんぱちとカーチェイス」ってのはあくまで「本編」の話で、映像内にちらちら仕組まれてる役者のメイクから動き、服装、名前の裏の意味、脚本には反映されてない裏ストーリー…が作りこまれているからそういう事情が分からなくてもなんとなく収まりの悪い、クラクラめまいがするような後味で、「もう一回見たら解るかも!?」なんて思わせぶりになるのでしょう。

 でも、役者さんが「シナリオの外の膨大な物語を了解している」とか「アイテムの一つ一つにまで世界や歴史が詰め込まれている」ってすごく素敵なことで、そういうのがあるのとないのとじゃ、やっぱり見た時の感動は違うもんです。違うもんなんですよ。バックグラウンド大事。

 

あ、これなんかに似てるわ、と思ったら『パシフィック・リム』っぽいんだよね。

 

はるか未来の、荒廃した我らの子孫が、かつての輝かしい文化を尊重し、神格化しながら、野蛮な生を生きているーーそういう文脈は大衆的に消費されがちだけど、そこについてはアホらしい、ってのと、なんか切ない、ってのが同居しています。なんか「現代至上主義」っぽいおごりだな、とシニカルにもなるし、子孫たちのことを思って奇妙なノスタルジーに包まれたりもするんだよね。客体としてみるか、もっとずっぷり、主観を重ねて見るか、の違いだけだけれども。