日月星辰ブログ

Vive hodie.

コロナ禍を縫って「少年口伝隊一九四五」を観に行った

 世は緊急事態宣言真っ只中である。

 新国立劇場で「感染対策を万全にして」研修生公演をやるというので、観に行った。私の観たのは8月5日の夜公演だったが、6日を二日目に控えての4日間である。本番は6日と言っていい題材。

 原爆「リトルボーイ」を落とされた広島の町、6日当日からわずかひと月程度の物語だ。6日当日(三少年が土管に避難する)、7日は空白(ただハエが繁殖していく)、8日(花江さんに会う)、9日(少年口伝隊結成)、その後は明確に日付を表して、終戦の15日まで一日として描かれぬ日はない。

 私たちは知っている。6日から9日で戦争は終わる。9日。私たちにとってはぼんやりとしているといつのまにか過ぎていく9日の1日1日の重みが折り重なっていくようだった。

www.nntt.jac.go.jp

 上のリンクに脚本も全文載っているので、読んでみてほしい。ときにユーモラスな、ときに冷徹に真実を見据える静かに怒る鋭い目が光っているような井上ひさしのこの脚本を、若い役者を目指す人たちが一生懸命に演技する形でこの物語を見せられるのは切なかった。同じ人間の所業とも思われない原爆投下、その後容赦無く襲う「黒い雨」と「山津波」(どちらもまるで、原爆投下に怒った自然が街をくしゃくしゃに握り潰そうとしているかのようだ)この作品は研修所のために井上が書き下ろしたものだという。広島弁井上ひさしには「国語事件殺人辞典」っていう、そりゃもう日本各地の方言がオンパレードの難易度の高い?名作も存在する)や地の文を語り継ぎながらキャラクターも演じていくという「うでだめし」的な要素もきっとあるのだろうが、何よりそういう題材を代々語り継いで欲しい、継いでいかなきゃ承知しないぜ、という気迫を感じる。国立の演劇研修所が大切に守っていることに少しばかり安心感もある。

 状況や「お上」によってころっころ態度を変える広島県知事、大本営、利権側の大人たちの姿、今のコロナ騒動にも通じるところがあるな、などと思いながら観てもいた。こどもにどうやって説明するんだ、っていうのはこういう時ほど大切なはずなのに、人間というのはこういう時にはそんなものをかなぐり捨てるものか。

 「声の大きか方へ、靡いてしまうくせが人間にはあっとってじゃ」

 という哲学じいたんの言葉が迫る。

 たったひと月余りの物語。たったひと月、なのである。愕然とする。やりきれない。

 

 追記:

 ところで観劇終わって9時ごろ外に出たらさー、どっこもご飯屋さんやってないわけよー。緊急事態宣言だからねー。まあ昔から「観劇とかコンサート後、飯食えねえ」問題が根強くあるけど(特にお酒を飲めない/飲まない 老両親がわざわざ都内に出てきてくれた場合とかマジ困った。シアターコクーンだったから文化村のかろうじて空いていたレストランででぽそぽその軽食を食べた覚えがある。ごちゃごちゃした飲み屋なんかに連れていきたくないわけよ)、今回はまーじーでどこもしまっていた。

 こんな中で五輪の取材に来ている海外の記者たちがやむを得ずコンビニに駆け込んでいるらしいのだが、それをあたかも美談みたいにして紹介しているWEBメディアとか許すまじい。あほなのか。

コンビニは東京五輪予想外のチャンピオン 海外記者が見て感じた日本の魅力 - ラララ西海岸 from LA - 釣り・趣味・旅コラム : 日刊スポーツ

海外記者が褒めてくれるのはまあわかるのよ……せっかく来たのにネガティブなことを言うのは失礼だし。せっかくのお祭りに取材に来ていて、「またコンビニ〜」とか書くわけないだろ。それをあたかも「日本すげえ」って日本人が紹介するのはどうなんだ。すごくねえよ。コンビニでごはん買わせてるんじゃない… 。