日月星辰ブログ

Vive hodie.

読書感想:松本清張「偏狂者の系譜」2

表題作がいかに良いかを書き殴る回。その1。

以下ネタバレ。

 

 

 

1、笛壺

 いきなり、「女のところから逃げてきたおじいさん」のお話である。書き出しがめちゃかっこいい。

案内記によると、土地にできたそば粉を武蔵野の湧水で打ったのが昔からの名物だそうであるが、このそば屋は家の構えの貧弱なこと田舎のうどん屋と異るところがない。

 ね。
 もうこれだけで、「あー、東京の近郊のちょっと田舎のうどん屋に一人できたおっさんだなあ」ってわかる。次の文頭に「俺は」とか書いてあるから誰でも「ああ、男なんだな」とわかるんだけど、この時代、「案内記」を見てそば屋に入るシーンで一人となればおっさんに決まっている。女性は夫婦同伴か二人連れ。若い男でもなさそうなことまで透けて見える。ここだけで流石にそこまで即断するには根拠は乏しいけど、そばをわざわざ山奥に食べにいく男…おっさん…となってしまう先入観を巧みに使っている。ちゃんとあとで「俺の風采と老体を」と書いてあって、そこで読者はまたほっとする。

 ぼろぼろの蕎麦屋に一人で上がって、「泊めてくれるかね」とか言い出すから、初めはちょっと、宿なしのやばいひとかと思っていたけど、先を読んでいくとこの人、学者だということがわかる。若い頃にまとめ上げた渾身の「延喜式」研究本を後生大事に抱えて、女から逃げてきた老残の男である。
 そういう人というと勝手に「真面目な、非モテ系」と思ってしまうところもあるが、そうでないところに本作のキモがある。学術的には地味であった主人公は、研究の際に知り合った女教師(って言う言い方、今では不平等って言われるやつですね)、しかも大して愛してもない女のところに、妻子を捨てて転がり込む。いい年になってから。転がり込んだ瞬間に「俺は自分のこの世の孤独にはじめて泪が出た」とかいう女の元に。
 必ずしも不倫とか言うのは愛に突き動かされてやるものでもないらしい。この作品の主人公が、若い女に傾倒していった仕組みが主人公自身「よくわからない」といっているのだが、よくよく考えてみるとどうも、女の亭主のせいのように私には読める。ある夜、女のところに泊まった主人公だが、別にツヤごとは起こっていない。そこに亭主が殴り込んでくるが、従ってその修羅場もそれほど派手なものではない。主人公が女の家のちゃぶ台を投げるシーンが唯一鮮明な惨事として描かれている。


 肝心の笛壺のことを書くのを忘れた。まあそこは、読んでくださいよ。本作を。

 作品中で一番短いが、とにかくラストまで全然飽きさせない。道具立ては地味といえば地味だが、めちゃくちゃ面白い。良作。

(以下次号)