日月星辰ブログ

Vive hodie.

読書感想:松本清張「偏狂者の系譜」

洒落たタイトルと装丁、表紙には「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection 3」とある。角川文庫版のリニューアル版かなということがわかる。こう冠されているのであれば当節ならWEBサイトぐらいあるんじゃないか、とぐぐったり、KADOKAWAのサイトを見に行ったりしたのに全然特設サイトとか出てこない。おいいい。「世界探検全集」を見習い給え。特設サイトまではないが、TOPバナー出しとるぞ。だいたいこのままでは「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection」って何? の謎がさっぱり解けない。書店でもしかしたら棚展開してた時にPOPとかあったかもしれないが、そんなもん、本を取って買ったら一瞬で忘れるわい。ちょっとさ、本の腰あたりに「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection」とか書いておけば、モノズキな読者が勝手にしらべて集めてくれる、とでも思ってんの? 他社作品の【推しの子】のバナーとか貼っとる場合か。アニメに出資してるのはわかるけど、それ集英社のじゃん。いやいや、と思って「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection」でKADOKAWAのサイト内検索かけてもでてこねえし! 編集部それでいいの?

 いったいどんな企画とチームがこの「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection」運用しているのかはわからない。奥付をみたら「平成19年」とか書いてあったので、私が手に取ったのが遅かったのも悪い。プロジェクトチームはとうの昔に解散、の可能性はまあ、ある。でもまあ、ちゃんと売れてるから重版はかかっている? それともとうに「店頭在庫のみ」状態となって細々と八重洲ブックセンターとかの本棚でひっそりたなざらしにあっている? 令和3年6刷、と書いてあったので、重版は多分、続いているんだろう。清張だし。「Matsumoto Seicho Showa 30's Collection」だし。

 どんなメディアでも、インターネットをうまく使わない手はないぜ、と私なんかは結構思っている。自分のキャリアが100パーセント、「こっちの世界」だったこともあるが、私も「Showa 30's Collection」とかいうことばにわりと近いところを守備としている。なので、この冷遇はちょっと切なく思ってしまうのである。もっとさ、このタイトルつけた編集部かなんかがさ、大々的にわーわー騒げばいいのに、と思う。

「偏狂者の系譜」、なんて洒落たタイトルなんだろう。作家自選・自命名短編集なのか、これを編んだどこかのタイミングの編集者が勝手に付けたものなのかは知らないが、何か「屋根裏の散歩者」みたいな期待を持って、手に取ってしまう。そうして、一時閉店間際の八重洲ブックセンターで手に取った一冊である。だからつい、やえせんの名前をだしてしまった。しかし結論から言うとめちゃくちゃいい買い物だった。
 学生時代にミステリ同好会にいたのに、清張はほぼ読んでいなかった。点と線ぐらいは読んでいるが、当時は今より輪をかけて大雑把な頭をしており、緻密な時刻表のダイヤの裏をついたトリックに驚きも感動も覚えられなかったというのがおそらくは敗因である。清張の冷徹な正確さに敗北したのである。読者として。高校上がりたてのうすらぼんやりした女子大生にきゅっとわかる代物ではない。
 収録作品は四遍。いずれも選びに選び抜かれた言葉で描かれ、研ぎに研ぎ澄まされた構成と奥ゆかしくも日本武道みたいな端正な所作で描かれた、——老残の研究者だったり、シン・ゴジラだったりする。
 どういうことだか、一編一編、ネタをバラしながらご紹介したい。ほんと、いまさら「松本清張は文豪ですなあ」って言うようなかんじで、甚だ間が抜けてるのはご容赦いただきたい。
 とりあえずまず、表題の本を読んで。

(以下次号)