日月星辰ブログ

Vive hodie.

演義

やっぱり三国志演義は名作だと思うんですよー。

張遼が好きです、臧覇はもーっと好きです、な私が言ってはならない台詞のような気はしますが、あの規模で物語にするその根性に頭が下がります。羅漢中ひとりの仕事ではないとしても。

あれを読んでいると、プロ野球でもサッカーでも「味方するチーム」がいるのといないのとでは面白みがまったく違う、という私にはいまいち理解できないあの境地のことを思い出します。善悪があり、勧善懲悪があるから萌える描写が可能なのではないか、と思えてきます。愛と憎しみが物語にもたらす恩恵は大きい。

演義のエピソードであれば、関羽曹操に下ってから、その膝元を逃れるまでのあのあたりがいっとうに萌える私ですが、あれも「とらわれのヒーロー・関さん」というなんともえろいシチュエーションに寄るところが大きいと思います。勇者が竜王に対峙して「世界の半分を賜るがどうか?」と言われて首を振る、そんないかがわしさ。

蒼天航路」ではそういう、「分かり易い物語性」「ステレオタイプなキャラクター解釈」は極力廃し、まあ曹操は別にしても、とても公正な視点から描かれている話なので、こういうのがあんま無いのが残念ではあります。大の男がね、大の男をよ、ただ「手元に置いておきたい」とか、そのために手段は選ばんとか、どうよー。どうなのよー。

そんでその際、完全に「悪役」曹操の「手先」めいた活躍をする張遼が、わたしにはちょっとちゃきちゃきした小賢しい、メフィストフィレス的キャラクターに思えて結構好きです。