日月星辰ブログ

Vive hodie.

ペテルブルク文学の源流 散策探訪コロムナ

 未知谷という名前の出版社がある。

 WEBサイトがすごいのでみて欲しい。

www.michitani.com

 概要欄に書いてある通り、ニッチなテーマの書籍を多く扱っている。比較的ロシアに関する本が多いような気がする。

 前にもこの版元の本を手に取り、読んだことがあるような気がするんだけど、とおもって書架をみたら、ロープシンの「蒼ざめた馬」の翻訳本を出しているところだった。

 タイトルからするとサンクトペテルブルク・コロムナ地区(というものがあるそうである。北はマリインスキー劇場あたりで「小コロムナ」、南はカリンキン橋やポクロフスキー広場あたりで「大コロムナ」となっているが、「小」のほうが地図上デカく見える。仕切りがどこなのか分からないので大小についてはここでは置く)の探索ガイドみたいな本なのかなと思いきや、そうではない。著者自身「エッセイでもないし、滞在記でもないし、いわゆる評論でもない」と言っている通り、なにがどうとジャンル分けしづらい本である。あえて言えば日記と言ってもよさそう。あるいはブログを本にまとめたものか。未知谷のサイトにある「誰もやらないなら私がやります」がふっと耳を掠める。

 読後の印象は「街場の図書館にありそうな本」もしくは「高校の時にふと手に取った図書館の本」という感じ。

 ベストセラーやジャンル本なら、日常に生きていれば結構手に取る機会もあるし、こういう曰く言い難い本ってあまりない。売れるように編集され、ターゲットを絞られ、ジャンル分けされた本たちである。小説ならもとよりそうだ。面白くなければ売れないし、まず街の本屋には顔を出さない。

 まして小さな版元の本など、なかなかお目にかかれないものだ。

 そこで、図書館である。

 図書館の場合は多くのジャンルを揃える必要性からなのか、案外とこういうびっくりするような珍しい内容の本が置いてあったりする。

 ロシア文学やロシア文化に関する本ならば、玉石混交、硬軟取り混ぜてとにかく耳を揃えておく、みたいな感じがしなくもない。学者先生の本とは言えブログみたいなこういう本が、ぽんとおいてある。

 概要については前述の未知谷の紹介をそのまま引用させていただこう。

ロシア文学はペテルブルクと共にうまれた。原点はそのコロムナ地区にある! プーシキン『青銅の騎士』ゴーゴリ『外套』ドストエフスキー罪と罰』コロムナの何が古典を生んだのか?! 良き協力者を得て、自らの足で訪ねた記録。
ロシア文学愛好者のための探訪ガイドともなる。参考図版251点。

ブロツキーがいうように、ロシア文学がペテルブルクとともにうまれたのであれば、その原点はコロムナにあるのではないか。
プーシキンの『青銅の騎士』も、ゴーゴリの『外套』も、ドストエフスキーの『罪と罰』もコロムナと関わりがある。
しかも本質的な関わりをもっている。
『青銅の騎士』では、コロムナの住人エヴゲーニィに、一八二四年の記録的大洪水を再現する儀礼遂行者の役割が与えられている。
『外套』の主人公アカーキィは、コロムナの広場で外套を盗まれ、幽霊になってコロムナのカリンキン橋で復讐を果たしたのだった。
罪と罰』の金貸し老婆アリョーナの家も、ソーニャ・マルメラードワの家も、そしてラスコーリニコフの下宿もやはりコロムナにあり、ラスコーリニコフはコロムナの広場で蘇りの契機をつかむ。
いったいコロムナの何がロシア文学を代表する古典をうみだしたのだろう。
何か痕跡のようなものは見つからないだろうか。
(…中略…)
本書は、ペテルブルクでの日々の生活、そして二十一世紀の今に伝わる文化的伝統や習慣に、文学のコロムナを探す試みである。
関連するペテルブルク小説の紹介や市販のガイドブックにはあまり載らないペテルブルク案内にも配慮した。
(「まえがき」より)

 

 いやまて。

 そこじゃない。

 

 確かに文学散歩っぽい話も出てくるんだけど、それよりもメインになるのは画家・ゲオルギー・コヴェンチェーク氏(通称:ガガさん…と本書では通してある)との出会いと別れの三ヶ月の話じゃないのか。

 2015年に享年81歳だというから、ガガさんは1934年生まれである。

 第二次世界大戦と、ソヴィエト時代を生き抜いた人だ。スターリンの死を学生時代に知らされたという世代だ。その祖父は「未来派の祖父」ニコライ・クリビン。知らないのでググったら、北大の「スラヴ・ユーラシア研究センター」がWEBで公開している論文が出てきた。

https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/slavic-studies/64/163-Takahashi.pdf

 

 この論文によれば、画家でありながら音楽などを含めた芸術全般に影響を与えた偉大な人物らしい。

 本書の後半ではドストエフスキーの孫にもあっているので、感覚が麻痺する。あとがきに「本書は、平成26年度関西大学在外研究による成果の一部である」とか書いてあるので、大学主導の文化交流で留学していた学者たちがセレブリティと交流した話、とも読める。

 気さくな人柄の「ガガさん」に著者は一眼で魅了され、その後ガガさんが亡くなるまでの三ヶ月、なにくれとなく交流している。この様子がまた心温まってエモい。

 著者は文学研究者なので、ガガさんやその人脈から繋がっていった人々に教えられるままに、コロムナの名所を訪れては、プーシキンゴーゴリチェーホフドストエフスキーの名所を随所で紹介してくれる。ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの下宿やら、金貸老婆の家などもコロムナ地区に位置するらしい。

 その土地柄を推測するに、洪水が来たら真っ先に沈む場所であり、芸術家や舞台関係者が多く住まっていてまあ下町、というと、東京だと北千住あたりを想像してしまう。芸術家が多いっていうと違うか。海抜0メートル地帯で、大雨が降ると真っ先にびしょびしょになるところなんて似てると思うけどな。家賃が安いとか、治安が悪いとかもまあ。

 修道院のパンが美味しい話とか、近場の食料品店でで売っているキュウリウオ(コーリュシカ/樺太シシャモのことらしい。日本のスーパーでも買える。やったぜ)とかビールの直売所とか、地下鉄に乗ると強盗まがいのスリ(スリっていうのは知らないうちに財布をスっていくいくからスリなんであって、地下鉄車内に無理やり押し込んだ挙句に数人で体を弄ってくる(貴重品を探すんである)っていうのはもうスリじゃない、強盗だ、と著者も書いてた。堂々たるもんである)の話とか、小話としても面白い話が載っている。石造りの建物の中庭にお店があるとか、そんなのぜったい観光者じゃガイドなしではたどり着けない。

 ほかにも、アストラハン出身でタタールの血を引くという画家・ガフール・ミンダガリエフさんに連れられアプラークシン・ドヴォールを訪れたりしている。これはほんと、地元の人と一緒じゃないと無理っぽい。羨ましい。

敷地面積一四ヘクタール、二百年以上の歴史を持つアプラークシン・ドヴォールは、サドーワヤ通りを挟んで高級百貨店のゴスチーヌィ・ドヴォールとはすぐ目と鼻の間だ。ところがアプラークシンのほうは、同じドヴォールでもペテルブルクの暗部とも、恥部ともいわれ怖れられている。

 非合法の店が平然と営業し、麻薬の売買は当たり前だそうだ。

 イスラム過激派が潜入している疑いがあるとのことで軍の特殊部隊が三百人を交流したのは二〇一三年のことだった。現在も特殊任務警察隊が周囲に常駐している。 

  この、地元っ子でも(おそらく)良家の人々はまず近づかない「ロシア人でも近づこうとしない難所」に難なく入っていって画材を買うガフールさん。ちょっとうらやましいぞ。

 でも、観光客に人気のゴスチーヌィ・ドヴォールのすぐ近くって、間違って入る人はいないのだろうか。心配になる。

 ちなみにカンディンスキーにもタタールの血が流れているらしい。知らんかった。

 ペテルブルクは神話の生まれる場所である、というフレーズがこの本にも何度か出てくる。ガガさんを取り巻く人々に出会ってゆく著者が、自分とかれらの「縁」のようなものを感じると度々書いているが、初めのうちはペテルブルクの「神話」についてはそれほど熱く語ってはいなかった著者も、ガガさんがなくなる直前に天使像を偶然見つけたエピソードに「エカチェリーナ教会の裏手であの日みた、すがるように十字架をかかえて佇む天使は、「マサ、天に登るからな」とガガさんが教えてくれたのだ。」とセンチメンタルに綴っている。

 

 日記のようなブログのような形式で綴られる滞在記のおかげで、冬の、しかも元旦とクリスマスを挟むペテルブルクの様子も生き生きと綴られている。著者にとってはそれを「貴重」といってしまっては、という気持ちだろうが、葬儀の様子まで描かれているのも日常生活を知らない読者にとっては貴重な本である。

 ちなみに「散策探訪」という語句は「エクスクルシヤ」というロシア語の和訳だそうで、この語を訳出したのは先日紹介した小町文雄だそうだ。

lubudat.hatenablog.com

 著者はこの本も「参考文献」に挙げている。すこしずつだが知識が繋がってきた。