日月星辰ブログ

Vive hodie.

円城塔 「文字渦」

 読んだ。難読・JIS第二水準以上の漢字・もしかしたら架空の漢字オンパレードで骨が折れるので、先月渋谷ジュンク堂で購入した日から読み始めてちまちまとかじっていき、ようやく今日読み終えた。先日、というのはいつのことだったか、面倒くさがらずに調べてみたところ15日とある。他の本もツマミ読んだり、数日は置いたままだったりしたので、まあ三週間ってところか。

 円城塔は一作も読みもしないうちからもう少し、真面目で難解な小説を書いていると思っていた。この作品が初読である。その遠因はおそらく芥川賞かなにかの寸評である。石原慎太郎のこの評。

もしこれがまかり通って受賞となったら、小説の愛好者たちを半減させたろう。小理屈をつけてこれを持ち上げる選者もいるにはいたが、私としては文章を使ったパズルゲイムに読者として付き合う余裕はどこにもない。」 

 引用元:

prizesworld.com

  石原慎太郎だしな、個人的には思っていたが、案外これが呪いになって脳みそにこびりついていた。たしか受賞のニュースを見た時にこのコメントのみが紹介されており、これを報道したどこかの新聞かWEBニュースには責任をとってほしい。

 こんなもんに引っかかる自分も浅はかで愚かだと思ったが、いくら78歳の老人でも腐ってもアレ、と思っていた。池澤夏樹島田雅彦が推していることをもう少し信じてもよかった。でもまあ、むずかしいんでしょう? という気持ち。

 

 そんなことはない。

 今日本にどれぐらい、SEとかやってる人がいるのか知らないが、そういう人ならもっとすんなり楽しめるかもしれない。もちろんコード化されていく文字とか、文化としての文字を惜しむきもちとか、うんぬんかんぬんとかあるけど、根底にあるのはあくまでおもしろSFだろう。そう思った。

 

 そうでなきゃ「メカ親鸞」なんてかかん。

 

 王羲之をいじめないで!

 

 ……日本語固有の文字や文章に対する哲学や感覚、感性(いま「かんせい」って打ったらことえりが、ことえりのやろうが「感情」を候補に出しやがった! ぺっ!)、それらは同じ漢字文化圏でも中国や台湾とも決定的に違うこと、先んじて元漢字文化圏でありながら漢字を捨てたベトナムや韓国ともまた、違うこと、偏屈で固有な「文字」は文化そのものの顔ですらありそうなこと、などを12のさまざまな角度と方法と視点と語り方で描く短編集である。1作品の長さは短めで、緩やかにつながっており、あの作品に出てきたあの人がこの作品に出てきたり、時代も前を向いたり後ろを向いたり、ひっくり返ったり反転したり、する。

 刻一刻と顔貌を変える秦の始皇帝の姿はまるで映画「キングダム」で彼および彼の影武者をを演じた吉沢亮氏のようでもあり、

 境部さんはラノベのヒロインのようでもあり、

 

 文字を戦わすのやってみたい、

 

 アミダドライブじゃないよ

 

 

 などと意味のわからない呟きを残して陶酔・惑溺の極みを味わえる。

 

 大袈裟なことを言ってさ。

 

 …仏教にもう少し詳しければもっと笑えるかもしれない。割とマイナーな知識を持っていればいるほど愉快に読める、というのをぺダンチズム、というのかもしれないが、なぜかこの本からはそういうのはあんまり感じなかった。知識のパーツの扱い方がもっとこう、カジュアルというか。

 

 貼っとく。

https://www.nii.ac.jp/userdata/openhouse/h18/archive/pdf/408.pdf