日月星辰ブログ

Vive hodie.

漫画や小説とかで、「解説キャラ」に弱いという話

オタクやってると、頻繁に言語化を求められるのが「推しの良いところ」話である。

普通の片想いなんかだとめんどくさい話として聞き流されがちな「推しの良いところ」も、同担の間では大いに盛り上がる話題になりうる。中にはそういうのが苦手なのか、「同担交流拒否」という向きもいるが、概ね初対面のオタクと話すならばこれは鉄板の話題と言っていい。同担拒否かどうかを事前に確認すればなお安心だ。

ところがわたしはどうも、この推しのいいところ話があまり得意ではない。いやするのが嫌だとかムカつくという、先に例示した同担拒否の方々のような嫌悪ではなく、技術としての不得意である。推しの話で盛り上がって楽しくなりたいのにどうも上手く話せない。上手い人は常日頃から言語化の素地を積んでおり、いざ話の通じる人が目の前に現れたらここぞとばかりに日頃の軍備を総動員したいと思っているのかもしれない。先日ある人に、「学校では好きなものの話で盛り上がれる人もいなかったのに、Twitterに救われた」という話を聞いて、ますますそう思った。話したくても話せないフラストレーション。話しても、話の通じる人がいない……そういうやつ。自ジャンルの話になるとめちゃくちゃ饒舌になるオタク、という人物像はよくオタクのカリカチュアの際に引き合いに出されるが、アレは常に戦闘態勢が整っている軍隊なのか、たまたま平時が続いて腐りかけていたゆえのオーバーキル行為なのか、人と場合にもよるだろうがどっちを想定してるんだろう。

どうも喩えが剣呑でふさわしいのか分からないが、ともかくもいざ同志に巡り会っても、相手の話を一方的に「わかるわ〜」というだけでは悔しい、相手がどうという以前に自分のフラストレーションが溜まる。私だってマシンガントークしたい。言いたいことは山ほどあるはずなのに、なんか大きな塊が鳩尾のあたりに溜まったまま、爆発するわけでもなくスウと縮んでしまうというのがもったいないというかくやしいというか。

 

 人生で初めて認知した推しは、栗本薫の「グイン・サーガ」というシリーズに出てくる、ヴァレリウスという魔道師である。あの世界では魔道士と魔道師は区別されていて、まあ栄養士と管理栄養士くらいの違いがあったはずだ。生まれた時の資質で選別される魔道士の世界に、孤児という立場から志して入門し、師業にまで昇格した男である(記憶だけで語っているので違ったらごめん)。ただし魔力的資質は流石に生まれつきの選抜者ほどあるわけではなく、基本的なことはだいたいやれるが能力的には多少残念、という設定もよい。例えば結界なんかも貼れなくはないが、ちょっと手練れが解除を試みれば簡単に突破できてしまうみたいな。呪術廻戦にもそういうひといなかったっけ。

 専門家でありながら本来評価されるべきところは今ひとつ弱いが、それを知恵と努力でカバーしている、というところもしびれるが、さらにこの子はいわゆる「解説キャラ」なのである。ストーリーの展開が難しくなったり、誰かが読者の想像を絶する「すごいこと」をやった時に、解説を入れてくれる、あの立ち位置である。今でも覚えているのは主人公・グインがある国のパーティーに呼ばれた時に、同じく賓客として招かれていたヴァレリウスがさらりと(グインは今ひとつ疎い)国際情勢について説明してあげるシーンが(確か)あった気がする。おいあやふやな記憶だな。

本来「解説キャラ」というのは、ご都合主義のストーリー展開や演出への多少の揶揄を含んだ呼称なのかもしれない。しかし鳥山明でさえ「ドラゴンボール」でヤムチャとかクリリンとかに「いかに孫悟空の気がすごいか」を語らせたり、あるいは侵略宇宙人の「スカウター」で数値化して見せたりした。孫悟空がめちゃくちゃ強いことは全少年わかっている。わかっているが、時折他者から評価されるとより一層「アガル」のだ。

 

 ゲームでもチュートリアルキャラが好きだった。「BAROQUE」に出てくる棺桶男は、説明が一切なされないあの世界で、神経塔に突撃しては天使銃をぶっ放して地下3階ぐらいに潜っては死に、を繰り返していた私にとっては荒野にオアシスの出会いだった。だいたい日本語通じるっていうか、長い文章喋ってくれる人あの人ぐらいじゃん。好き。「大熱波」で心身共に歪んでしまったキャラクターたちの例に漏れず、棺桶男もお世辞にもまともな人間には見えないのだけど、少なくとも彼の精神は健全だった。アイテムの使い方、基本性能、ステータスの味方、その他もろもろ、チュートリアルしてくれるのだがゲームの初めに押し付けがましく出てくるわけではなくて、ちょっと地上を歩いてみないと分からないところにいるところもいい。人によっては巡り合いもしないで塔の方を先に攻略しちゃうかもしれない。それぐらいの奥ゆかしさ。右も左も分からん状況でとりあえずまあ食えとばかりにチュートリアルさせられるのではない程よい親切さ。彼の生き方の逞しさも好き。棺桶を背負っているのは自らのダンジョンの中に突撃していった人が死んだら回収するためだそうだ。回収するさいにみぐるみはぐんだけど。死人にブツはいらんのだよ。

 今ハマっているゴールデンカムイの白石由竹も、多分に解説キャラの性質を帯びたキャラクターである。芝居でいうところの3枚目ポジション、要所要所で「今気になる謎」「解決すべき課題」なんかを言語化する役目は白石に負わされることが多い。実際、白石のことをちょっといいね、と思ったのは、2巻で二瓶鉄造の情報を持ち帰ってきたあたりからである。次はここに行こう、という決断を担うキャラクターではない。あくまで指針を持ち帰ってくるだけだが、必ず有益な情報を携えて、主人公たちをありうべき方向へ導いてゆく。

 意味不明の世界に骨子を与え、言語化し、いくばくかの意味を与えてくれると言う意味では、彼らは「メンター」とも言えるのかもしれない。しかし、「メンター」などというありがたい言葉で片付けるには彼らはあまりに親しみ深く、卑近で、ちょっぴり胡散臭い。深淵なるこの世の真実を教えてくれるというよりも、表面的な、私たちよりちょっとばかり賢かったり、「その道」がわかっていたりするだけのお兄さん/お姉さん的なポジション。孫悟空の凄さを解説してくれて読者が素直に聞けるのはクリリンぐらいであって、これがベジータになるといささか白々しい…んだと思う。時にその裏に隠れている「本当の真実」を見落として、結果的に読者にとってはミスリーダーになることもある彼ら。入門のための水先案内人。そういうキャラクターにめっぽう弱い。