そういう時間の空白を必ず一週間に一度作らないとだめだな、と思います。
旅行でも遊びでも、何か入れると必ずその次の一週間は調子が悪くて、いやになってしまいます。絶え間なく遊べている人というのは、どれほどタフな人なのだろうか。
そういう日にやることといえば、朝ねぼう、洗濯、昼寝、コーヒーを飲む、ネットを見る、本を読む、さんぱずをやるというところですが、なんとも贅沢な時間の使い方のような気がする。
とくに昼寝というものを怠ると、どうもせかせかしてしまって心が死んでくるような気がする。人生にはもっと昼寝というものが必要なんじゃないだろうか。
昼寝と行っても、寝転がって、そうしていると寒いので、布団にくるまりながら、いろいろなことをぼんやり考える。覚醒していたり、半分うとうとしていたり、そのうちぐっすり眠ってしまったり、様々だが、そうして寝転んでいると抽象的な思念や、具体的なアイディアやら、そうでもないくだらない空想などがひらめいたり、消えたりする。なにか、もっとこう、真剣に内面と向き合いたい場合は、こうも寝ていては思考はすり抜け勝ちになり、どうもうまくないように思うけど、なかなかどうして、寝転んでいる時というのは、憂鬱なことをあまり考えない。憂鬱なことというのは電車の行き帰りとかのほうがよく湧いてくる。
怠惰、とか逃避、というのであればどうぞそう呼んだらいい。ところで私はこうして怠惰らしい、憂鬱なことばかりしているようだけれども、案外本物の鬱にはなりそうにない。たぶん、心の何処かで怠惰なことを肯定しているからだろう、と思う。真面目過ぎる人ほど心を壊しやすい、とかいうが、そういう真面目さがあまり備わっていないようで。
人交わりに嫌気がさしたら、いらない接続をどんどん切って、ごろっちゃらっとしているに限る。そうして自分の大切なことをひとつひとつやっていったほうが、随分といいようにも、思う。