日月星辰ブログ

Vive hodie.

締め切り

社会人ともなると様々な締め切りに縛られているのが人の常である。学者や作家、芸術家のことはよくわからないが、彼らの本などを見ると、「ご提案いただいてから着手まで一年が立ってしまった」みたいなことが後書きとかに書いてあったりして、なんだとーと思ったりもする。サラリーマンはすぐやる課である。下調べとか別の仕事とかあろうがなかろうが、ともかくも着手である。少なくとも私はそうしている。それで仮に、着手した仕事が蛸足配線になっても仕方ない、つないではいますよという顔をしてなんとかやっている。友達の編集者が私のゼミ時代の師に原稿を頼んだ時も締め切りをぶっちぎられて閉口したと言っていた。裏の事情は知らないので簡単に「お気軽な仕事ですね」とは言わないが、決して見習ってはいけないことは肝に銘じておかねばならない。仮に肝がダイヤモンド並みに硬区とも、何らかの形で刻め。心臓に毛が生えているのならば焼印でも押しておけ。

 思えばかつてはそういう、発信力のある人に限って締め切りをぶった切って平気な顔をするということを公言して憚らなかった。よくかつての日本人が怠惰にならなかったものである。私なら真似してしまいそうだ。偉い人だから許されるんだろうとかそういう思考はない。偉い人でも許されているのに、と思ってしまう。詭弁だが。

 でも、偉い人ほどそういうのはしれっと「締め切り? 守ってますけど? 当然?」と言って欲しい。時間は有限であり人生は短い。なぜ先延ばしの哲学みたいなものを我々無辜の一般読者に教えてしまうのだ…愚昧の民は絶対に免罪符にしようとするからそういうことを教えるのを今すぐやめてくれ…頼む…

 何しろかつてというか今でも、たまにチラッと「でも●●先生も締め切り遅れてたし」と思ってしまう愚昧の民であるからして、私は非常に自分に甘い。今日は寝るまでが今日。4時になろうが5時になろうが本日である。そう思って夜更かしをし、無茶をして「今日のタスク」を25時に終わらせて平気な顔をしている。こういう態度がゆくゆくはどんどん時間を無駄にするのだと思っている。こういう人間は大学を留年し結婚を先延ばしにする。死ぬのも一緒に伸ばせればいいのだが、死ぬのだけは多分人と同じだ。こういう人だから120歳まで生かしてやろうとは神も仏も思うまい。仏ならばもう一度やり直してこいと輪廻の輪っかの中に投げ込むだけだ。

 せめて12時までが今日、という意識を持って暮らそうと思い、毎日の日記も遅くとも10時には書いてしまおう、と心に誓った。そういう些細なことからだんだん成長していくのだ、多分。人間というものは。

 

 そうして「今日」は天辺まで。今日やろうと思っていたことが天辺で終わらなくても、諦めて寝ようと思った。次善は全て否が応でも終わらせることである。

 

 今日のご飯。

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何事もタイムリミットが大事。ご飯はなるべく日の明るいうちに作って、自然光で写真を撮ることにした。明日から蛍光灯になったらごめん。