日月星辰ブログ

Vive hodie.

映画感想:テッド

あー、あとテッド見ました。

身の回りであんまり感想を見かけないので、したためておきます。

アメリカはボストンのレンタカーやさんで働くしがない男性が主人公。ディズニー絵物語風のプロローグで彼が6歳の頃、クリスマスプレゼントのぬいぐるみのテディベアが突如命を与えられ、自律しだした、という顛末が語られますが、もちろん、この映画はその後の「ポストおとぎ話」がメインです。 (オープニングでアルバム紹介みたいにテッドと主人公、その彼女のメモリー()が語られるところは何となくディズニーの「カールじいさんの空飛ぶ家」の前半15分を彷彿とさせるんです)

で、時は流れ30代になった主人公。当然くまも年を取っている、というところがミソ、というのは予告編の惹句にもなっていますが、当然のように主人公と二人で暮らしています。でこの二人がもうね、おたくなんだわ。しかも『フラッシュ・ゴードン』オタ。

この映画がことに日本でヒットした理由の一つに、あらゆるクラスタがどっかかっかに感情移入できる、というジョーカーカード的な良さがあると思うんです。単純なストーリーで難しいこと考えるのが苦手な層にも受けるし、下品なギャグコメディが好きならばそこを楽しむことも可能。女子はテディのかわいさや主人公の彼女の殊勝さや有能さに共感すると思うし、そしてオタクは。

主人公ジョンはすべてのオタク、テッドは「おれの嫁」のメタファーじゃないかと思う。ジョンにとっての『フラッシュ・ゴードン』。ジョンにとって、オタクであるというアイデンティティはおかすべからざるもので、そこがガールフレンドのロリーにも受けてる(みたい)。「あなたといると楽しいの」みたいなのって、結構オタクの方には身に覚えあるんじゃないかしら。「話してて楽しい」とかさ。

冷静に考えればまったくすばらしくもないしどうしようもないある「対象」。ほれてるかどうかとかもすでに曖昧で(そういう意味では「俺嫁」ほどの距離じゃないかもしれない)、でもいざとなると「アイデンティティの源泉である」と力説してしまうそれ。マリファナ中毒で口の周りにすすがついたテディベアと何ら変わらない、それ。今までの社会ならいつかはそれを捨て去って、「大人」というものになれば良かったんだけど、(そう、革命家がヘルメットとガロを捨てたように)今はそれほどそういうプレッシャーもない。がやっぱりなにかがおかしい、とみんな感じてはいる。そういう空気がまさにぴったりマッチして、みんな喜んだんだろうけど。

解決策は別段提示されていない。それはコメディで、フィクションなんだから当たりまえだと思う。それどころかテッドはまんまと生き延び、ジョンとロリーの家庭に居座るんだぜ。テッドを「これでいいんだ」とみんな認めて欲しかったんだとおもう。特にわれわれ、オタクの向きは。