日月星辰ブログ

Vive hodie.

オフィサー・アンド・スパイ 感想

見た日:2022/06/03 19:00 ユナイテッドシネマズとしまえん。こぢんまりしたシネコンできらいではない。ポップコーンがでかいので覚悟して頼むこと。あとお向かいにお鮨屋があるのだが、そこはお酒も飲めて一品メニューも頼めるのでほぼ居酒屋。鑑賞前後の飲み食いはそちらが便利。お勘定も安い。

 お隣にも松屋があるが、そっちは簡便に済ませたい人向けですな。どちらもデートなどにはちょっと…向かない。デートならば練馬駅近辺まで出るべきだが、レイトショーに片足突っ込んだ時刻になるのでそっちもなー。

 まあ、どういった社会階層の方とあって食うかによってちがう。私は一人で行くので大概なんでも食う。できれば飲む。

 

 さて。

 

 ロマン・ポランスキーである。フランス映画である。ずっとハリウッド映画と日本映画ばかりを見ていたので、これと「チェルノブイリ1986」は文法に入り込むまでにちょっと時間がかかった。

 映画の内容についてあれこれ言う前に、まるで印象派の絵画のような絵作りにまず感動しました。お茶会ピクニックのシーンなんてまんまルノワールの絵みたい。

 当時の軍服もガン見できる。ゴールデンカムイファンにとってもいろいろ勉強になるシーンが多い。

 

 さて。本作の原題は「J'Accuse」。「余は抗議する!」というエミール・ゾラの言葉が元になっている。私がこの言葉を知ったのは開高健の「生物としての静物」で、両切りタバコか何かが廃盤になっていくことに対して…の文脈だったんだけれども、多分仏文詳しい人ならあーあれね、というやつなのだろう。

 ドレフュス事件が題材となっている。世界史の授業で習った時は正直ぴんとこなかったのだが、「司馬遷と李陵のあれさ」と言われればほーと思ったかもしれない。さらにそこに、フランス社会のユダヤ人差別がのしかかってくる。

 

 またも、「マイノリティと差別」問題。

 

 私はまあ、上記の通り、言葉は知っていても本質を知らない程度の知識しかなかったものだから、映画でゾラが出てきた時に「うおー! 頼もしい!!!」ってオタク特有の高揚を覚えたんですよ。「オーロール紙主筆です」「エミール・ゾラ氏です」「上院議員です」ってな。つよいのきたじゃん! やったれ! ピカール! ってね。ダメだったね…

 

 ゾラたちのしかけた新聞がどうなったかと言うと、街角で焼かれた。ゾラはイギリスへ亡命、帰国後亡くなる。ペンが剣によって折られるわけだ。なあにが、ペンは剣よりつよし、だよ。ちぇっ。

 

 それだけフランス国民のユダヤ人に対する差別意識が強かったと言うことでもあり、パンフレットの内田樹氏の寄稿によれば、この事件はヨーロッパの「反ユダヤ主義」のきっかけとなった。つまり、ナチスの台頭の遠因である、といっても言い過ぎじゃない。

 

 そんなフランスが、100年ぐらいのスパンでずっと反省をしているドイツと違って、知らんぷりしてお綺麗ぶっているのがすごく腹立たしい。世の中ってのはそんなもんなのかもしれんが。差別を無くそう! などというのは簡単だが、差別というのは人間のあらゆる基礎感情の上に滲み出てくる膿みたいなものなんじゃないか、と暗澹たる気分になる。恐怖、嫉妬、生存本能、繁殖本能、異質排除本能。諸々。

 

 劇の演出としては、音楽の使用を最低限に抑えた音の編集とか、(ほんとに決定的なところでしか音楽は使われていない。出てきたと思ったらオーケストラの演奏だったり、主人公のピアノ演奏だったりしてね。問題の手紙の真相にピカールが気づくシーンだけは、逆にセリフがなくて音楽が鳴っていたのが印象的だった。

 画面の作りは先述の通り。19世紀の歴史画家による絵みたいな絵がずっとつづくのよ。綺麗……。決闘のシーンとかすごく綺麗。ピカールが極秘にオーロール紙を訪れる夜のシーンの白い息とかも、息の白さすら計算され尽くして撮られている感じがある。素晴らしかった。

 映画が終わった後パンフレットを買った。近作ではあまりパンフ購買欲が出ないんですけど、これは出ましたね。パンフも19世紀の新聞みたいな装丁になってておしゃれ。

 自身もユダヤ人であるポランスキーのインタビューがそのパンフレットに載っている。その最後の問いと、答え。

 

——反撃したいと思いませんか?

 なんのために? 風車に突進するようなものですよ

 

 苦しい。