日月星辰ブログ

Vive hodie.

生活リズム復活

今週はずっと生活リズムの話ばかりしてて恐縮です。

 

土曜日はなんだかドロドロのネトネトで、ちょっと起きてもすぐ寝転んだり、ゴロゴロしたりしてばかりいたが、日曜日はちょっと頑張って文章を書いてみた。そうするとお昼寝もほとんどせずに、大変健康な日曜日を送ることができた。素晴らしい。

 本当は読書も同じぐらいやって、アウトプットとインプットのバランスを撮りたいところだけれども、筋トレと有酸素運動も結局は筋トレメインの有酸素運動おまけぐらいの割合がいいらしいのと同様、アウトプット>>インプットぐらいでいいらしい。

 誰かが言っていたと言うよりは、現時点での私の感覚として、ではあるものの。

 結局、アウトプットをしようとして初めて気になることとか出てきちゃうものなのである。変な例えだが、大学のレポートの宿題を想定すると一番近いかもしれない。資料と首っぴきで作業するあの感じと、似ている。「あっ原作のあのシーン、正確にはどんな台詞だったっけ?」「あのシーンはどの町で出てきたんだっけ?」「この時あの人いたっけ?」みたいなのって、漫然と読書をしている間は結構見逃している、いろいろな事実を今一度確かめざるをない。読書も、一度目ざっくり通しで読んだだけでは全然身についてない。さて、誰かにこの本を紹介しなくちゃならん、となったところでがぜん、目つきが変わってくる。

 読書ノートをつける、ぐらいだと不十分だ。できればどこかに発表して、いく人かの人には「読んでみたい」と思わせたいとか、何か「勉強になった」以外の別ベクトルが欲しい。そうでないと、結構なんにも拾えなかったりする。同人誌を書こうぐらいの気持ちで本に向き合うと、結構頭に入るのかもしれない。

「このビジネス書でやるならほのぼのギャグよね」とか、「この小説ならシリアスBLよ」とか、そう言う一見アホくさい視点でも、視点は視点である。視点が備わると、なんらかのフォーカスがおこる。これがあるのとないのとでは読書体験に大きなさが出る…ような気がする。 

 まず、よほど信頼のおける作家とか、初めから好きな作品ってわかっているものを読むときはそこまでのあれは必要ない。自然と美味しいところに勝手にフォーカスが合わさる。問題は、全く未知の領域の本に出会うときである。先週ぐらいからずっと、私は「現象学」と言う新書に悩まされている。さっぱりわからん。大学時代に選択授業で受けていた「論理学」の教授の専門が、フッサールだったと言うことと、同じく大学時代はメルロ・ポンティ結構流行ってた気がする ぐらいの予備知識である。ヘーゲルからわかってないと何がどうすごいのかわからんと言うもので、コギトとか言われてもさっぱり覚えていない。考える葦どころではない。考えるフキである。その心は真ん中が空っぽ。

 くだらないことを言ってばかりいるが、確かにまあ、漫然読書でもなんとなくつかみはわかるが、つかみしかわからん。余計なところばかり頭に入る。フッサールハイデガーの愛憎の日々とか。肝心な、フッサールの段階ではどこまで思考が到達してお利、ハイデガーはそれをどう検討したのかとか、そう言うのがよくわかっていない。

 

訳が分からなくなってきたので今日のご飯でしめ。

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晩ご飯。金曜日に作ったツボにらとゆでどりが主菜。無限ピーマンが副菜、キビナゴ、ネギは納豆に使った。なめことインゲン、あげのお味噌汁も食べたのでバランスは良いと思う。もっともこのメニュは冷蔵庫整理メニュ。

 食後、テレビで半沢直樹がやっていたので途中から途中までながらつい見てしまった。ああ言う、業界裏話みたいなの面白い。いかにリアリティを入れながら大嘘をつくか、みたいなの。しかし原作の池井戸作品はまだ一作も読んでいない。役者さんたちの演技がシリアスながら全力で「お話だよーん!」って言ってくれるのもほっとする。お話じゃなかったらやです。

 

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なお昼は「カレーライスとコーヒー」。カレーはレトルトだが、某高級名店のもの(らしい)。取引先で以前ずっと担当だった人からいただいたものだが、私は小心者なので頂き物は全部上司に報告している。上司とはあまり仲が良くないって言うか、なんかあったらしく「ああ、ふーん、もらったの…」と言うリアクションだった。箱でもらったけど部内のみんなで分けた。