日月星辰ブログ

Vive hodie.

読了本:『風立ちぬ』

風立ちぬ』読みました。

新潮文庫版で読んだので「美しい村」がカップリングされていた。あれ、収録では先に来てるんですけど、正直つらいです。バッハのフーガから構想されたといいますが、だめでした。「ナニコレ」状態でした。執筆年どおりの編集なんだろうけど、太宰の名も無き数篇と同じような読み応えのなさを感じました。太宰にも同じくそんなことを感じるのですが、あれを面白がって読んでいた読者がいた、というのもなんだか不思議な感じがします。書いてても苦しくないんだろうか…といらんしんぱいをしてしまう。『風立ちぬ』のほうを先に収録したほうがいいに決まっている。これでは読者はさよならしてしまう。まだバッハのフーガを聞いていたほうがいい。

一転、『風立ちぬ』は確かに名作だと思いました。出会いのところはいかにも唐突だし、なんとなくこんなんでいいの? いまだったら説明不足とか言われて叩かれるよなーと思いながら、徐々に節子の病状が悪化して行く感じ、父と節子の関係、サナトリウムの人々のいい脇役ぶりなど、読みどころがまあ、ある。文章もなぜか「美しい村」よりは読みやすく感じました。多分文体というところはなにも変わっていないのだれど、なにか明確な「書くべきビジョン」が読み取りやすいからじゃないかなと思う。

「美しい村」はいまひとつ作者が何を書きたいのか判らないのがなんとなく居心地の悪さになっているんじゃないかと思う。まだ、「ああ、そうやって読むもんなんだ!」っていう発見が、できない。

誰か他の人に、しかもできれば自分とはかけ離れた感性の持ち主に、「美しい村」の感想を聞いてみたような気がします。