日月星辰ブログ

Vive hodie.

NG

開発畑では途中段階のプロトタイプでもなんでも出そう、というムーブメントがある、らしい。業界のことはよく知らないのでもっぱら伝聞である。主にザッカーバーグ氏の哲学が発端だったのではないか、と思う。

 

 文章を書いていると、各側から無数のNGが湧いて出る。一文字打つごとにNGNG。それとがっぷり四つに組み合いながらうんうん粘る。粘ったら粘った分だけ、客観的によくなるわけでもないのだが、「結局最初のがよかったんじゃん」とか「格闘するだけむだ」という言葉とも組み合う。NGを出す。いろんな角度からタコ殴りにしてみて、もっとなんかないのと足元をめくり、ぐるぐる周囲を周り、斧を出してかち割ってみる。出るかもしれないし、出ないかもしれない。死んじゃうかもしれないし台無しになる可能性もある。やっぱり最初のが良いかもしれないが、一度かち割ってしまったら戻らない命もある。30分ぐらいですらすらと書いた方がいいんじゃないか、とも思うし、それにもすぐにダメが出る。何がメタ認知だ。

 心象風景としては、際限なく泡がもこもこと立ち上った洗濯機の前で途方に暮れている感じである。大昔、30年ほど前、そういうアニメがあった気がする。トムとジェリーとか、そう言う感じのスラップスティックで、おっちょこちょいな主婦が洗濯機を回すと、どんどんどんどん、泡が生じて、やがて洗濯機から溢れ出す。洗濯機を止めようとしてもますます暴走の態となり、そのうち洗濯機そのものが飛んだり跳ねたりする。むかしの洗濯機は二層式のゼンマイで、非常停止ボタンとかもなかった。ダイヤルを回すと回り切るまでずっと回っている。あの融通の利かなさの前に、途方に暮れる感じ。

 仕事を頼んでいるライターが最近、書かなくなった。