表題の通りである。
最近は「推し活」とかいって正統派っていうか「婚活」やら「就活」みたいにあたかも人生における必須事項(と言うと若干大袈裟だが)であるかのような用語が登場して、すっかり市民権を得たかに見える、「実際に会ったことのない、ヘタをすると架空の存在」の誕生日を祝う儀式をした。
古くは、「力石のお葬式」があり、芸能人などは彼ら自身の知らないところで勝手に誕生日が祝われもした。それ以前に、文豪ともなると命日に名前がついて、そのあたりで読者は面識がなくても勝手にお墓にお参りしていいことになっているような気がする。いろいろなご意見がある方がいらっしゃろうし、実際に遺族がそういった現状についてどういう見解を個々に持っているのかはわからない。いやだ、気持ち悪い、と言う人が仮にいても、おおっぴらに言い立てると角が立つ。
その点、「キャラクターの冠婚葬祭」はまだなんというか、実在の人物へのインパクトは若干薄めのような気はしている。だから、という免罪符でもないのだが。
近くのケーキ屋さんで急遽、ケーキを作ってもらった。予約したのは日曜日(2月28日)だったので、割とタイトなスケジュールではある。お雛祭りと重なっているからか、二つ返事で「承りますよ!」とおっしゃっていただけた。ネームプレートもほら。
非実在の「よしたけくん」あてであることがどこまで察せられていたのかはわからないが、ともあれ、無事にお誕生日を祝うことができた。
1990年代ぐらいから、これぐらいのことは厚顔にやってのける積極的オタクはたくさんいたが、昔は今よりほんの少し、風当たりが強かったと思う。かってにそうだと思い込んでいたのかもしれないし、地域性があったのかもしれないが、少なくとも私が高校生の頃にバイト代で同じことをしようとしたら、少なくとも友達には言わずにひっそりやっていただろう。ましてこんなふうにブログには書かない。
現在であれば、いっそう敵視するむきもいるかもしれないが、大勢ではこういう行為に対して人は多少、寛容になりつつある気がする。楽しければいいじゃんね。
ケーキはとってもおいしかった。月に一度ぐらい、カットケーキ買いに行こうかなと思うぐらいには、また食べたい。
個人的にはケーキなんかよりこっちの方が「強火」だと思いますけど… 尾頭付きの鯛が行きつけのスーパーに売っていたので、買ってきて焼いてみた。家のオーブンに入りきらなくて、しっぽがひん曲がってしまったが、丸焼きはほぼ成功。味は最高だった。
身はふっくらと脂がのり、それでいて白身の魚のアッサリ感があるからいくらでも食べられる。魚は大きいほどうまい、ってキロちゃんが言ってた。
昔の人は鯛を丸ごとたべるなどと言ったら大騒ぎで、それこそどこかで赤ちゃんが生まれたとか、新しい家を普請したとか、結納だとかの機会がないと登場しなかった。落語で、与太郎に鯛買って来てさばけというやつがあった気がする。
この鯛は、鱗もはらわたもとってあったので、間違って身の方を捨てられる心配もない。念の為もう一度ざっと身を洗って、塩を酒をすり込んで、あとはオーブンで焼く。焼いただけ。
ほっくりしていて、身離れも最高に良くて、本当においしかった。これは、骨とかとっておきたくなるわね…
アイヌは熊をとると頭骨を神聖視して祀るが、「鯛の鯛」をとっておきたい気持ちって、それと同根の思想が、ずいぶんカジュアルになったやつなのでは思う。
こんなふうにロケハンまでした(この写真は照明もあてている)のに、実際にはかなりささやかになってしまったが、初めての推し祭壇、推し祝い、やれてよかった。満足。