日月星辰ブログ

Vive hodie.

読書日記:「千の顔を持つ英雄」(ジョーゼフ・キャンベル)

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 早川書房の文庫から、新訳が出ている。

 ジョーゼフ・キャンベルの本書といえば、二言目には「ジョージ・ルーカスに影響を与えた」ということらしいが、そういうふうに言われると「ラノベの書き方講座」みたいなものを想像してしまってげんなりする(のは私感であって、逆にわくわくしちゃうひとはすりゃいいと思うけども)が、そうではない。れっきとした論文であるので安心して欲しい。

 「ラノベの書き方講座」系ならば、この本をより実践に噛み砕いたアスキー・メディアワークスから訳書がでている「物語の法則」(クリストファー・ボグラー、デイビッド・マッケナ)の方でも読めばいいと思う。私は両方ともよんだけど、こっちの方はビジネス書めいて、随所に「がんばれがんばれ」的なアゲアゲフレーズが入っており、飽きない。

 個人的には、より実践に落とされた「物語の法則」で「え…このルールにしたがって書かなきゃなんないの… うそぉ…」となるよりも、「神話の法則」や「千の顔を持つ英雄」を読んだ方がモチベーションが上がった。「千の顔を持つ英雄」はともかく、「神話の法則」の方はもともとはアメリカのテレビ番組の書き起こしだそうだが、キャンベルには「物語を語ること」そのものに対する真摯な目的意識があるような気がしてならない。

 売らんかなでも、デビューして独り立ちしたいでも、みんなに面白いと思って欲しい、でもない、物語を語ることで人を救おう、世の中をよくしよう、と——長い間人類はそういうふうにやってきたんだ、と、いうふうに、キャンベルは考えている。

 

現代社会において宗教や政治ではなく、人間の相互理解という名のもとで統合を目指して活動しているさまざまな力の、おそらくまだ完全には絶望的になっていない大きな目的に貢献できればと願っている」

 

 前書きの言葉だ。

 

 結語ではこうも書く。

「現代では、神話は次のように解釈される(中略)以上が、神話のすべてである。(中略)神話は、声明その元がそうであるように、個人、集団、時代、精神、要求に合わせて、その姿を表すからである」

 本書を読んでいる間、たびたび「物語が好きってことはどういうことなんだろう?」と自問せずにはいられなかった。中学の頃はライトなファンタジーに夢中になり、大人になって、44になった今まで、傍に物語が絶えたことは一度もなかった。そのたびたびに伴走者こそ変わるものの、常に傍になんらかの物語が、影のように寄り添って走っている。仕事がしんどい時はシビアな戦乱の世の中に身を浸す武人の物語に夢中にもなり、多少落ち着いてくればもう少し個人的なテーマの作品に引かれるようになる。その時々に共感するキャラクターもまちまちで、しんどければ苛烈な武人、余裕ができればお調子者の遊び人、と視点が変わった。

 キャンベルは「神話」を、世界の真理について比喩的に表現する媒体だというようなことを何度も繰り返し述べている。賢人が真実を語る際に、いろいろな言い方を選ぶという、ヴェーダのことばを引き合いに出している。仏教で言うところの「対機説法」とうやつだ。そこには「昔の人は(科学的な知識がなかったもんだから)なんとかという現象がそんなふうに見えていたんだねえ」式の蔑みはない。キャンベルはどんなプリミティブな神話にも敬意をもって接している。今の今まで信じられている「神話」には、科学などに上書きされない象徴的な真実が宿っている、と考えている。そう言う著者の態度は限りなく真摯で、そういう人の書くものは細部に渡ってきっちり、引用テキストも揃っていれば不確かだったりあやふやだったり、あるいはいい加減な決めつけだったりするところはない。

 各論的には若干難解なところもあり、何しろ引用文献のほとんどが邦訳がないため、文献を当たってキャンベルの思考を遡ることは一般読者には少し難しい。教養書として読み飛ばしているならなおさらである。それでも、試しに自分がよく知っている事象について読んでみれば、かなりの確度でキャンベルが物事を調べているのは、わかる。日本の「茶道」の哲学について、観音菩薩の解釈について、などを読めば、お茶を習ってる人や、法事で説法を聞いたことがある人にはピンとくるだろう(キャンベルは日本仏教の「形骸化」についてもちらっと書いている。お葬式仏教についてもちゃんと把握しているのだ)他のものもまあきっと、正しかろう、と思ってしまう(旅行本の編集の確かさを、行ったことのある場所の本をみてみることで予測するやりかたに似ている。資料の収集のしやすさやなんかで情報にむらが出る可能性もまあ多少はあるのだろうけど、初読の感触を占うにはこうするよりない。手持ちの教養が乏しい場合は…)。

 単に「やれこれを読んで小説家になろう」とか、そういう動機で読むものではないとおもう。「物語とはなんぞや?」というあやふやで掴みどころがなく、答えにくい問いに、果敢にも挑んで「やっぱりはっきりはいえませんが、どうやら世界の真実への人間による哲学的アプローチの所産なんですわ」とどうにかこうにか宝物のひとかけらを持って帰ってきてくれた、そんな感じがする。冒険する英雄のように。