日月星辰ブログ

Vive hodie.

「カポーティ」

ようやっと感想をば。
フィリップ・シーモア・ホフマンに始まり、終わった。



アンファン・テリブル」たるカポーティをすげえインパクトで演じたP・S・ホフマン。「日常に耐えられない」天才のしゃべり方は、眠たそうな、常に寝言みたいな、舌っ足らずな赤ちゃんしゃべりでした。ちょっと押井守のしゃべり方に似ている。
カポーティの「生きてうごいている」姿は確か、フィルムに残っていて、しかもちゃっかりえいがにでちゃったりしている筈。高慢ちきちきなちみっこいおじさんのイメージを、「本物以上に本物らしく」再現。まあ要はだ、ある側面、非常に戯画的にも演じているわけでもあるが。
カポーティらしさ」を演じたシーンには好きなシーンが多いけど、現場に乗り込んで「高級マフラー」とか言ってるのとか、文化人ども相手にふざけているのとか、と思えば朗読会の舞台袖で自分を沈めるためにアルコールを煽るだとか、ああ、またこんな傷だらけなひと…。繊細で傷だらけの恐るべき子供はでもちゃんとした大人に囲まれて結構幸せそうなところがいいです。ジャックとか、ネルとかね。ジャックとは同居してるみたいだし。一緒にスペインに行っちゃうし。あの二人何? らぶらぶなの?
ホフマンカポーティは誰に対しても愛を語っているようなしゃべり方で、天然人タラシぶりがすごくはあはあでした。もちろん、殺人犯にして自分の「本のネタ」だったペリーに対しても。最後絞首刑の当日に感極まって泣いちゃったり、むしろその前に電話一つとれなくなっちゃったり。「早く死んで欲しい、そうして僕を楽にして欲しい」というのと「死なないで、君は友だち」というのがそれぞれ同じ重さでぶら下がっているかんじ。

これもすげえイイ映画だったから未見の人は見るとイイです。「カポーティで『冷血』ネタ」で良くならないはずないだろ常考。でもそんな「鉄板」のカードをもしのぐすばらしさ。

P・S・ホフマンも登場するととたんに画面をさらうすごい俳優でした。一瞬たりとも目が離せない。この人が次のノーランバットマンでペンギンを演じるって本当ですか。やだ、リドラーより楽しみかも。