日月星辰ブログ

Vive hodie.

ディープ腐女子とか言ってみたところで所詮はアウトプットが不自由な人

自分の書きたいことばかりを書いていてはいけない、と最近とみに思います。
というのは、こないだの会議でちょっとした修羅場があり、「いっしょうけんめいやっているのに路線変更があったり云々」という論議がクリエイターがらみであったんで思ったのですが、それをいっちゃおしめえよ、あんた。
プロフェッショナルのクリエイターが自分の趣味重視の伝わらないものを作ってどうするよ。
クリエイターというのは最前線の兵隊さんみたいなところがあって、その苦しさはすごくよくわかりますが、それで泣きが入るってのもねえ。
自分に照らして考えてみて、反省したのでした。
ここのディープ腐女子っていう定義事項を読んだ際に思ったのですが、「流行ってるものは基本的にばかにする」とか「1番人気のキャラや、人気を出そうと狙ったキャラを嫌う」とかおこがましい。 あと「ルサンチマンを作品にする」とかってちょっと…。
読者側の隠れたルサンチマンを突いてクリエイティブなものを提供する、というのは分かりますが。
「自分が自分が」という枠を脱出しない限り、プロのクリエイターにはなれないなあ、と思いました。
「読者が読者が」で良いと思うのよ。お太鼓持ちにならなきゃいけない、っていう事じゃなくて、誰のためのアウトプットなのか、という意味で。
 読者っていったって自分が初めの読者でもあるわけだし。

 何度も言いますが私は腰が重くてアウトプットが不自由なただのライトオタクですよ。盛大に(あくまでカッコ付きの)「ディープ腐女子」を叩いた後でそう言うとなんだかすごくいやーな感じですが。
 いや、ね、べつにディープ層アンチというわけじゃないです。読むのはディープ層が書いたもののほうが好きだし。にちゃんとかでいわゆる"アテクシ"っぽい姿勢自体に反発を感じるのかも知れない。

 やっべ、すげケンカ売ってるよこれ!
 まあいいか。