日月星辰ブログ

Vive hodie.

読了本「バッカーノ!」

正月早々ですので、年末からため込んでいたラノベとかを消化したいと思います。

ラノベでした。これ。大学生が書いてる見たいです。すごいですね最近の大学生は。
随所の言葉の使い方に違和感が感じられてたまりませんが(優しい笑顔を絶やさないうさんくさい人の笑顔描写が「えびす顔」ってそれじゃあなんかでっぷり太ってつやつやしてるオッサンしか頭に湧きません><)、イタリアン・やっさん(マフィア、じゃないのですが)とか、禁酒法とか魔術とか道具立てすごい好きー。わー。いろいろ不満は満載ですがラノベの1巻なんてそんなもんだろうということで不問です。気に入った人は次を読めばいいと思う。
概してラノベのいやなところは、まんがといっしょでシリーズが延々と続いているところで、ぜったい最後まで読めないんですが、ていうか、作者も途中で投げ出してる人、いるよね、みたいな。この話も同様に、例外に漏れず、延々とどこまでもお話をつづることができそうです。これはあくまでプロローグ、これだけで評価しちゃいやよ、という姿勢。なのでぱっきりしたことは言えない。だからラノベって評しにくい。
敢えて言わせて貰うと、これは「ネタバレをゆるさない」作品であろうと。
小説とか映画とか、ストーリーのあるものの場合、ジャンルわけとかの前に、まず大きく2分されると思うの。
ひとつは、ネタバレを許す作品。
もうひとつは、ネタバレを許さない作品。
よく、ミステリなんかはネタバレをするのは極悪人のすることだ見たいに言われますけど、よくよくいろいろ読んでみると、ネタバレされても面白いものと、ネタバレですべてがパアになるものの2通りがあるように思います。まあそれは、ミステリに限らず、他のもろもろのジャンルもそうなんですが。
たとえば、三島由紀夫の「金閣寺」はネタがばれていてもそれほど観賞に支障はなかろう。まんがでいえば「ジョジョの奇妙な冒険」もそうだ。あと、一連の歴史小説なんかは、ネタは最初からばれているようなものなので、あんまりネタバレにクリティカルな響きはない。三国志を読んでいる人に「オイ知ってるか、最後は仲達がぜんぶもってっちゃうんだぜ」みたいなことを言っても痛くもかゆくもないし、そんな結末じみたところじゃなくても、「赤壁曹操様負けるんだぜ」とか「張遼は丁奉に腰を射られて死んじゃうんだぜ(演義準拠)」みたいなこといっても、やっぱりあんまり痛くない。多分、愉しみ処が違うんだろう。「金閣寺」を読む人は三島の美麗な文章に酔いしれ、病的な主人公の心理に寄り添って酔いしれ、「ジョジョ」を読む人はかずかずの名言や、バトルの行方や、主人公達の哲学に燃え、三国志では名言やら戦略やらに燃えるわけ。その愉しみ方には「結末」に対する執着はあまりない。行方が解っていても、名言やら名シーンやらの価値は死なないだろうから。
いっぽう、この「バッカーノ」みたいな作品の場合、ネタが読者にとっては非常な意味を持ってくる。
だから私は、ココでネタバレは書かないけども、この作品の場合、ネタのユニークさがもう、すべてという気がしなくもない。マフィアと『それ』を絡めるかよ、ひいては、『そんな』結末にしちゃうのかよ、と。すごい結末だよこれ。普通の作家だったらこんなん怖くて出来ねえよ。まさにネタありき。このネタをぽんと思いついちゃったことがこの作品の優れた所だと思う。
肝心な「からさわぎ」部分はそれほどごちゃごちゃしてるわけでもないし、構造は至って簡単。でも、結末は…。これだけ思い切った結末を書いちゃうのはちょっとなあ、すごいなあ、と思います。みんなこんなもんなの?
いつもなら「ネタに作者の哲学ありき」とかいってばらすところですが、私の良心がそれを許してくれませんでした。うん、気になる人は読んでみればいいんじゃないかな。