- 作者: リリー・フランキー
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2005/06/28
- メディア: 単行本
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実は私、ベストセラー手を出さない歴2X年、ベストセラーになっても2年から5年たってからのそのそと手を付ける性分でして。本に関しては私、極度の猫舌でして、熱々のものは食べられないのです。その私が、ベストセラー真っ盛りの本書を。
じゃあなんで、といえば、上司の方より「読んでみる?」と気軽に貸していただきまして、職場の先輩も「近年まれに見る泣けた本」と大絶賛されていることもあり、それじゃあ、という気安さで繙いたのでありました。とはいえ、「売れてるみたいですねえ」とか「江國香織ですか?」とかといった大ボケをカマすなど、狼藉が目に余る感じでの取り組み方ではあります。
てかね、この本、ずりいよ。母親話なんて、泣けるに決まってんじゃん! 泣けて当たり前じゃん! どんな人間にも母はいる。たとえ顔を知らなくても母は慕う。私も女の子なのにパパよりママのほうが好きだったので、痛烈にそう思いました。
平和かつ幸せな幼少時代を暮らしたひとなら、きっと共感してくれると思いますが、ずいぶんちいちゃなころから、私は両親に何かあったらどうしようという恐怖に時折、酷く囚われる事がありました。小学校1年生ぐらいのときからそんな事を考えていた。今思えば、そのころ両親はぴっかぴかの30代の筈で、余計なお世話の心配だと思うのですが。しかも自分が困る、というよりも、ひたすら悲しかろう、というところに怯える子供だったので、未だにいざというときにどうかなっちゃうんじゃないかと心配です。そのあたりの「普遍的感動帯」を突いてくるこの本は、そんなわけでずりい。しかし自分が果たしてこの主題でものを書けるかと言えば絶対に恐怖に震えて書けないと思うので、その点は凄いと思う。
もっともその「書ける」という状態が「勇気」なのか「技巧」なのか「思想」なのかはたまた、「姿勢」なのかはわかんないが、乗り越えたものの強さではあるのだろうか?
では作者と同じく「通過」した自分ならそれでは書けるのかな? とも考えるが、やっぱり悲しさにふるえて書けない気がする。こころよわい。
ちっとやなのは、帯。「小説」「小説」て書くなよ。エッセイとして読んでこそのかきくらすまどひなのに。まあ、この形式はエッセイではなく、「実話小説」だとは思うけどさ。途中で閉じて、帯読んだらちょっと落ち着いちゃったじゃない。フィクショナルな媒体に昇華されたものである、と認識したとたんに、冷静になっちゃうのだった。こういうのをスレた大人というのかも知らんが。