日月星辰ブログ

Vive hodie.

読了本めも:塚本靑史『白起』

『白起』読み終わりました。

「白起」っていうタイトルだけだと、いったいなんのことだかわからない人もいるかも知れません。人の名前です。

 最近テレビで「キングダム芸人」とかいう企画? があったそうで、それを見て、あの作品を読んだ人なら、あるいはわかってくれるかもしれない。

 

画像検索結果貼っておきます。違う人も混じっていますが、まあ読んでみてください。

キングダム 白起 - Google 検索

キングダムの白起は冷酷無比、化け物じみてて不気味、という感じですが、一方でこうなっちゃうの? というのが王欣太の『達人伝』の白起。

seiga.nicovideo.jp

こうなる。恐ろしき色男。達人伝は恐ろしい人ほどきれいな顔をしている法則でもあるのか、あと呂不韋が美男子です。個人的には、『蒼天航路』時代の個性的なおもしろフェイス揃いの登場人物のほうが好みなんだけどなあ。

 閑話休題

 

 じゃ塚本靑史は白起をどう書いたか? というと、ごく普通の男性として書きました。美しい女官に密かに恋をして、それを後生大事に古希の齢まで引きずる。それをずばり指摘されると赤面してあわてるという可愛いところもあるし、中国古代の女神・女禍が、上等な人間を粘土から、下等な人間を泥から作った、というお話をお母さんから聞かされればそれを生涯の根本思想にしてしまうような、わりかし愛すべき、単純な一般男性です。少なくとも気は違っていない。

 ところが、その気が違っていない一般男性をして、どうして「大量殺戮将軍」となったのか。他にも戦国時代には綺羅星たる人材がひしめいているわけですから、何も主人公は白起でなくてもいいわけです。実際別の作家は「呂不韋」ってのや「楽毅」ってのを書いていたりします。だいたいこの辺りの人々と同時代の彼、白起。なぜ彼を主人公にしたのか。

入れ替わり立ち代わり登場する登場人物の嵐に持ちこたえ、ちょっとした一言でひっくり返るような外交情勢などを我慢して読み進めていくと、なんとなくじわじわ、その辺りがわかってくるような気がするのが、この作品のすごいところです。

はじめのころの白起のしごとのモチベーションは、ひとえに魏冉という貴人に見出され、彼に目をかけられ、子飼いとなったことにあります。魏冉の命令なら割に無批判に聞き従うのが、中盤ごごろまでの白起。自分が使った偵察隊が必死で知らせてくれた秘密まで握り潰して、実に忠実に魏冉に仕えます。腐女子脳がぴりっと刺激されましたが、まあそういう湿っぽい妄想の余地は極限まで削ってあるのでここは深く立ち入らずに去りましょう。

 じゃ、一般男子・白起は、上からの命令に逆らわずに、現場担当者として淡々と40万人を生き埋めにしたのか? というとその辺りはちょっと違います。この空前絶後の大虐殺は、人間個人が殺した数としては、人類史上にも類を見ない、というギネスクラスの大虐殺ですが、彼をそこに駆り立てた問題は案外とどーしょーもないことです。

 ただ、多分彼自身は、それに気づいてはいない。

 国際情勢や縦横家の画策、さらには王たちの欲望やらなにやらかにやら、いろんな要素が複合的に絡みついた末の「長平の戦い」なのです。後世の、その場に身を置かない、机上でのんびり妄想しているような人間がとやかくいう筋合いはない、塚本白起はそう叫んでいるようです。確かに信賞必罰を重んじる秦という国で、かれが将軍であればこその驚天動地なのでしょう。でも、彼自身は居たって普通の、常人の感覚でその「悪行」を成し遂げたのだ、…と、いう視点に立って、塚本靑史は書いています。

 かの悪行を白起個人の責任に期す、というような短絡はここにはない。現代的な視点に立った糾弾とは程遠く、あくまで普通の人間として描かれていることに奇妙な安堵感を覚えずにはいられません。誰かを悪者にしてスケープゴートにすることは易しいですが、そういうふうに選ばれたスケープゴートの心の中に踏み込んでいくのは、ひどくむつかしい。そんな難事業に果敢に挑んだ作品です。

だんだん当たり前の生活になってゆく

普通の人ならしていることを、今までしてなかった。

何が弊害になってたかというとほとんどスマホである。

家に帰ったらトイレの掃除をするとか。

ご飯食べたあとは食器洗うとか。

帰りの電車で本を読むとか。

スマホをすこし遠ざけたら、10年ほど前は当たり前にやってたことがだんだんできるようになってきた。

スマホは怖いね。

海へ…使用結果

もろもろ。

 

●化繊混紡 カットソーワンピース

申し分ない洗いあがり。

 

●ニットカーデ 毛百パー

縮んだ。許容の範囲内だったので来シーズンも着るけど、また洗うかというと怖くて洗えない。そのうちねずみくんのチョッキみたいになりそうだしな。

 

●ニットカーデ 化繊×毛の混紡

縮んだ縮んだ。まあ許容の範囲内。来シーズン私は着れるけど、もう一度は洗わない。

 

●その他

染み落ちは普通の洗剤ぐらい。使用料は「ハイジア」とだいたい同じぐらいのような気がする。ティースプーン一杯は言いすぎやろ。

 

結論 まあ、いいんじゃないの、くらい。素晴らしい! とはいえない。

リピートするかは、1本使いきる頃に結論を出す。なぜなら、1度の洗濯じゃやっぱりわからないことが多すぎるからだ。

まあ、ウール洗えるよ、は織物のみの話だと思ったほうが良い。ウールのニットは水を通すとてきめんにアレ いつかこの問題と人類は和解できないものかと思う。クリーニング屋に出すのめんどくさいじゃん、ニットカーデごとき。

追記:

縮みの原因は「水流」のようなので、もしかしたら、「ためた水に一晩つけるだけで一瞬脱水して干す」と縮まないかもしれない。また別のニットで試そうかな。

sentaku-shiminuki.com

 

…でもこの方法でのばそうとは…思わない。ちなみに手で引っ張ったら結構伸びた。 

これ一本でOK! っていう「海へ…」ってほんとにすごいのか

 シンプルライフ提唱者界隈で超人気のこれを買ってしまいました。

生分解する洗剤 大きな海へ ポンプ付き500ml

 実は昔から、主に地球環境への愛ゆえにすごく気になってた商品でしたが、その効能については正直信じてなかったです。

 しかし、コスト面ではどうなのか。アマゾンレビューとか見ると「市販の洗剤よりお得です〜」みたいなレビューがついてますね。何しろ私は「ボトル一本2000円ちょっとで100回使える」とかそういう惹句に弱い。「柔軟剤いらず、木綿も絹もこれ一本!」とまで言われれば。

 今の洗濯ルールだと、「通常洗濯用洗剤」「デリケート向け洗剤」「柔軟剤」を揃えて使っていますので、それを元に計算してみた。うちで使ってるブランドを元にしています。使用量は私の場合の標準値です。

 ●通常洗濯用 トップ ハイジア 450g入り

 一回の使用量:キャップ半分 1杯27gらしいので、13.5g。

 1ボトル当たり価格:279円(価格ドットコム 本日調べ)

 1ボトル当たりの使用回数:450g÷13.5=33.333…回。お釣りは誤差でなくなってそう。

 

 ●デリケート向け洗剤:ライオン アクロン 500ml

 1回の使用量:40ml

 1ボトル当たり価格:224円

 1ボトル当たりの使用回数:500÷40=12.5回。まあ12回で。

 

 意外とコスト喰っているのが、柔軟剤だと思っている。今使っているのは、

 

 ●柔軟剤:ファーファ 無香料柔軟剤 400ml

 1回の使用量:20ml。

 1ボトル当たりの価格:354円

 1ボトル当たりの使用回数:400÷20=20回。

 

つまり、この3つのボトルで45回分、柔軟剤は途中で1本買い足し、

 45回=279+224+354×2=1,211円。

 大きな海へ… は100回分を謳っているので、これの2.22倍ってことね。

 単純に、既存の「ライオン/トップ/ファーファ連合軍」の価格を2.22倍すると2,691円となり、「大きな海へ…」の勝ちは僅差となった。

 正直微妙な結果。これは仕上がりを比べてみないと。(つづいてしまった)

備忘録:6/5 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第290回 定期演奏会

自分のための備忘録です。10年後読み返すのに重要なんです。

 

指揮:高関健

フルート:竹山愛

コンサートマスター:松野弘明

東京オペラシティコンサートホール

曲目:

アルテュール・オネゲル Arthur Honegger

交響曲第2番(弦楽のための交響曲)Symphony No.2 (Symphony for strings)

 1,Molto moderato--allegro

 2,Adagio mesto

 3,Vivace non troppo

 

カール・ニールセン Carl Nielsen

フルート協奏曲 Flute Concerto

 1,Allegro moderato

 2,Allegretto, un poco

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven

交響曲第5番 ハ短調 作品67

 1,Allegro con brio

 2,Andante con moto

 3,Allegro

 4,Allegro

 

 オネゲル 交響曲第2番 好みの緊迫と憂鬱を感じさせるストリングスアンサンブル! ヴィオラがちょっとハスキーな気がしたのと、コントラバスがええ声過ぎた気がするが多分気のせい。この曲、第3楽章のラストのラストにだけトランペットのコラールが出てくるんだけど、それまで沈黙を保っていて、とても変な感じである。まさか途中で編成も変えられないだろうから、トランペッターは待機所で楽器を時折暖めつつ、黙然と待ってるのか。バルコニー席のせいで、そのトランペットの様子はまったく分からなかったけど、どっかの物陰から突然喨と鳴り響くトランペットはなんだか幻のような気もした。はじめバンダかと思ったヨ。

 

 ニールセン フルート協奏曲 竹山さんは灰色の裾を長くひくドレスで登場。管楽器の立って吹くソロは結構ふんばりそうだから、足はあんまり見えないほうがいいのかもしれない。ちらりと見えた靴は見事な銀色だったけど、かかとがあったかどうかはわからない。かかとがあったらふんばった弾みでこけたりしそうな気もするけど、まああるでしょうね、かかと。

 曲と丁々発止、しのぎを削るように、取っ組み合って息を乱すファイトのように演奏するフルーティストだったな。オーケストラは果敢に戦う単騎のソリストを包むように、援護するように音を乗せてゆくが、時折敵のようになって覆いかぶさってくる。協奏曲のソリストって、いつもそうだけど、あまり観客に向かって語りかける人はおらず、ひたすら音と孤独に戦う姿を見せつけるひとが多い…気がする。そこんところがポップスターとの違いかもしれない。表現者は、何と戦うのだろう。

 特にこの曲は難しそうなソロだったから、余計に取っ組み合いのように聞こえたのかも知れないけど。

 

ベートーヴェン 交響曲第5番 ちょう有名なアレ。もう冒頭の書き出しだけで出落ちっていう、すごい曲。あらためてすごい曲だ。いきなり「やあやあ我こそは…」ってなる。ものがたりの分野ではあんまりそういうのって無い。つらっと記憶を見渡してみると「吾輩は猫である」くらいかな。

 見どころいっぱい、演奏者もすごくテンション高い。とくにコンマスが大いにテンションが高くてついニコニコしてしまった。プログラマだったら、名コードを書き上げた時の最後のエンターキーが「ッターン♪」ってなるタイプや。ぜったい。オーケストラを軽々と飛び越して響き渡る魔笛のピコロ、まさにロイヤルシートの名がふさわしい第1トランペット。ちっとくどめの最終楽章締めもくどくどしないぐらい、ノリノリだった。

高関さんという指揮者の方は、きっと絶対君主というよりもいまどきのやり手の経営者みたいにオーケストラを率いているんだろうな、と思った。ナンカスゴイカリスマで強権的に引っ張っていく魔力つきの指揮者もいいけど、明瞭で優しい対話と、ニコニコ楽しいせめぎあいで作り上げられた感じはすごく安心する。演奏前のプレトークでも紳士的で明快な話し方をされる方だったので、きっとこの直感は当たらずとも遠からずではないかな、などと我褒めしてみる。 

 

 

 

深夜の会社に閉じ込められました 3

今回で完結編にしたい。

 

正面玄関からでられる、ということをすっかり忘れていた。それほどテンパっていたということだろう。

それでも、それを聞いて電話を切ったあと、私はひとしきり躊躇した。正面玄関のある1階は半地下になっていて、昼間でもなんとなく薄暗く気味の悪い場所なのである。長い廊下の先には倉庫として使われている真っ暗な部屋があり、大掃除をする前まではガラクタ溜まりになっていた。例のアレがたまるとしたらまずここであろう。

――やだな。

とはいえシャバの空気が吸いたい。意を決して階段を降りて行き、なるべく余計なことを考えないようにしながら一階ホールの電気をつける。自社商品のキャラクターの人形が沢山並べられているが、夜は不気味だ。なるべく見ないようにして扉を開ける。

「でられたじゃん!」

 まあ当たり前なのだが、喜び勇んで通用口に回る。外側から操作して開けばこの罰ゲームもここでおしまい。クリアだ。

「…あれ?」

 やっぱり開かない。

 失意のうちに、再びαさんに電話を掛ける。

「ひとまず僕が行くから、待ってて。1時間ぐらいかかると思うけど」

 仏のような人だ。

 ツイッターには空疎な日常が流れていた。この時ほど空疎と感じたことはない。

 1時間待つ間に、なにもしないのもつまらない。

 幸い、工具入れの場所は知っている。トンカチとドライバを持ちだして、再び通用口に。黙然と閉まっている扉の、まずはびくともしないレバーを叩いてみる。

 何も進展はしない。次にドライバを扉の隙間につっこんで…と思ったが、だいたいこういうところの扉って、ドライバひとつでこじ開けられるような構造になっていない。やっぱり駄目だ。

 こうなったらどっしり構えて待つしかあるまい。退勤前に消していたラジオを時報代わりに付け、本を読み始める。明日ぶんの業務を進めようとか、そういう考えはない。

 10時少し前、待望のαさんからの電話が入り、「今玄関」と仰るので、鍵を開けに行く。

「トンカチで叩いても駄目でしたね」

「今日はもういいから。今から鍵屋に連絡する」

「あのう…。一つ質問ですが、正面玄関の鍵って、外から締められないんでしょうか」

 エントランスについては、社員のほぼ全員が、中からしか鍵を掛けたことがない。外の様子については、詳しく見たこともない。

 おそらくいちばん会社の建物について詳しいαさんですら、「鍵を見たことがない」という。

 外に回ってみると、鍵穴はついている。めぼしい鍵を試してみたが、そもそも型が違った。

「どこかにここの鍵があれば、帰れるんですけどねえ…」

「いや、もういいよ。さっき鍵屋に連絡したら、緊急で来るって言ってたし。鍵屋待ってたら終電間に合わないから、どのみち泊まらなきゃいけないから、あなたはもう帰りなさい」

 そう言われれば、まあ帰りますよね。

 最後まで見届けてネタにしようなんていうブロガー根性はなかったので、帰らせてもらった。閉じ込められ事件の私の顛末は、ひとまずはここで終了ということになる。

 ――ので、ここからは伝聞したところである。

 その後、11時少し前に鍵屋が到着したそうだ。

 深夜だというのにがちゃがちゃあれこれやってみたものの、扉はやっぱり開かなかったそうである。しまいには、ドアノブと鍵の金具ををすべて取り外しても、まだ開かなかったという。それらがあったところには、取り付けた際に穿たれた上の3つ、真ん中に一つの大穴がされこうべの眼窩のように虚しく、開いている。それでも、扉そのものは頑として開かない。

 

 翌朝会社に出勤してみたところ、どうもαさんが貼ったと思われる「通用口故障のため、正面玄関にお回りください」の張り紙があった。

 鍵屋さんおよびαさんの見解によれば、鍵はとうの昔に保証期間が切れており、いつこうなってもおかしくない状況だったという。症状としては内部の金具が経年劣化で破損したということだった。

 明らかに怠慢による事故なのに、それを悪びれるという様子もない。

 というか、設備の点検に予算をつけてるのは一体誰なのか?

 それすらよくわからない。本気でばかやろうと思った。