日月星辰ブログ

Vive hodie.

14時46分

心のなかで黙祷をしようと独り決めに決めていたが、上司は何時終わるともわからないことを延々と誰かと話しており、電話はひっきりなしに鳴り、宅急便は飛び込んで来、ぜんぜんそれどころじゃなかった。そんなことは感傷に過ぎず、震災を忘れないというのは心の問題じゃなくて行動の問題なんじゃないだろうか、少なくとも、幸いにも無傷の我らには。ぜんぜん知りもしない人間の、上の空の黙祷など茶番にすぎない、と遠くの誰かにあざ笑われたのかもしれない。

 未だにこの瞬間には促されずともふと時が一瞬止まり、また何くわぬ顔をして動き出す。何も知らなければいつもと変わらない一瞬なのに、誰かがめもりをつけたばっかりにそれを意識せざるを得ない。1月17日の5時46分、3月11日の14時46分。奇しくも46分、6時に、または3時になろうと進んでいた長針が、ちょうど4分の3を過ぎたところでとまる。誰かの時計は止まったまま、また誰かの時計は動いたまま。