日月星辰ブログ

Vive hodie.

映画感想『バービー』

せっかくだからかしこくないほうのライアン・ゴズリングもみるか、というか絶対好きだと思うんですよね…ケン… お調子者好きの血が騒ぐ。

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バービーぽい写真。

 

もう3年も前の映画になる。同時期に上映されていた『オッペンハイマー』と一緒に見よう(っていう宣伝そのものもなかなかクルットルと思うのだが。だって『オッペンハイマー』でどーんと沈んだ後にお口直しできるか? この作品で?)という宣伝だかミームだかで日本で大炎上してしまったという暗い過去も持つ。もっと陰湿なルッキズムが蔓延っている上にバービーみたいなエンパワメントコンテンツもそんなにない(皆無とまでは言わない)日本でこれ、流行るかなあ…と思ってたし、まあ当時は今ほど映画見てやる!みたいな気概に満ちていなかったので華麗にスルーしてしまった。後悔している。どーせ賢いギャルがきゃっきゃして考察する映画でしょ。実際まあ、そうだけどさ。

もう今やいい時代で「賢いギャル」は現実には存在する。存在していないかのように信じようとする者、「マックでかしこいこと言うギャルはフィクション」と断じたい者、いろいろいるが、ギャルだろうがおっさんだろうが賢い人は賢いし、馬鹿な人は馬鹿だ。あたりまえである。むしろ賢いギャルは無敵すぎて怖いのだが、そういった社会的警戒そのものも「バービー」では女性の抑圧と見做されている。言われてみれば確かにそうである。

しかし、雷親父も賢いギャルも怖さの根本は似たようなもので、結局「他人を押し退けそうな権力」の匂いを発しだした途端に、遠ざけたい存在になってしまうと思う。おっさんはいくら雷でも許されてきたかというと、うーんどうなのかな。

無敵の人は恐ろしい。それは美貌と賢明を併せ持つ人でも、財力と権力を保持する人でも、腕っ節が強いマッチョでも、あるいは何もかもを失ってもはや失うものは命のみという捨て身の狂気の人でもだいたい恐ろしさの理由は同じだと思う。

 

以下ネタバレ。

 

「バービーランド」が周到に5歳児程度の世界観で作り込まれている点がいい。地図も、生活も、プレゼンの絵も、道徳も、愛ですらである。そんな中で一人スタンダード・ケンのみが密かにたまにリアルな「男」を見せてくる。まるで楽園に潜む悪魔のように。今夜は泊まりたいとか言ってきたときに私はウケてしまったがこれはバービーランドでは死の概念よりもタブーなんじゃないのか。映画としてはごく自然かついっそありきたりですらあるこういうセンテンスがじわっと違和感として作用してくるのがツボに入った。一方で「死について考えたのよ」と急に言い出すバービーのこのセリフの方は明示的な違和感である。おかしいですよね、と声高にわからせてくれる。まあおませな五歳児なら「今夜は泊まりたい」ぐらい言わせるかもしれないが。

 

五歳児といえばケンも基本的には中身は五歳児で、バービーと争っていても言うことがいちいち五歳児レベルで可愛い。そのくせバービーに向ける視線の深みや、前述の「今夜は泊まりたい」とかに代表される時折ちらちら見える「大人の男」の面がある。時間を聞かれただけで有頂天になったり、変な道場の名前を考えたり、リアルワールドで馬にすっかり魅せられて帰ってくるところとか、バービーランドでは女の子のおままごとに混じって傍若無人を働く弟といった感じなのに、リアル・チンピラに絡まれた際には「あたしたちには性器はないの」と言い放つバービーの背後で、「ぼくにはついてるけどね」とかさらりと言う。悪魔め。

しかし、バービーは常にひとりのバービーであり続ける映画なのに、助演のケンはいい感じの見せ場になると大勢の「ケンたち」がかならず割り込んでくる。ラブバラードで一番までしか歌わせてもらえず、二番からはあまたのバービー・ケンが似たような感じで焚き火を囲んでいて、ワンノブゼムに成り下がっている(テロップによれば4時間後だからたっぷり歌ったのかもしれんけど、観客はそこ聞いてないし)。まだアランの方がキャラが立っているとすら言える。そら「ぼくをみて」って癇癪も起こしたくなるし、見ているものにもそうおもわせる工夫がいっぱいしてあった。性別で下駄を履かせてもらえないバービーランドのケンたちはこれから「ケンとして」選ばれるようにならなきゃいけないのだろうか…? その辺りは結論は出てなかった。

「戦争だ」と言い出す役割をこの五歳児・不憫ケンが担っているのも面白いなと思った。やはりどんなに可愛くてもこの作品では悪魔なのである。「戦争だ」なんていう野蛮なことを言い出すやつは、男だろうが女だろうがケンのように頭空っぽだ、というメッセージだろうか。それともやっぱりこの子はお姉ちゃんのおままごとに紛れ込んだ五歳児の弟なのだろうか。

 

「バービー」のバービーは自らの美貌の暴力に無自覚であった。初期設定ボーイフレンドのケンを蔑ろにして憚らず、それがケンの自意識を傷つけていたことに気づいても、自らではどうしようもない、という結末である。リアルで教訓的ではない。だがこれでいい、とも思う。このバービーはケンではない誰かをリアルワールドで見つけるかもしれないし、見つけないかもしれない。