日月星辰ブログ

Vive hodie.

木村清孝「教養としての仏教思想史」(ちくま新書)感想

数年前のギフトショーで新書の用の革カバーを買って、名前まで入れてもらった。これをなんとか有効活用できないかというのと、やっぱり概論を手っ取り早くと言えば新書でしょうね…という気持ちと、家の近くの本屋が閉店するため、なんか記念に一冊つれて帰ろうか、という偶然が重なって手元にきた本。新書の棚で一番読みそうなやつ。

仏教思想史をざっくりと説明して、3行で頼むわ、と言われてできるかというとなかなか難しいかもしれないけども、とりあえずこの本読んでおけばざっくりとはわかると思う。前半はインド国内での仏教発達史で、後半は中国語に二章、韓国に一章、日本に五章を立てて現代の課題までを書いています。

 

今日日、そこらの厨二でも用語さえ押さえていればいくらでも知ったかぶりができる時代(ウィキペディアとかでね)ですが、だからこそこういう新書を読むのは良い。へんな誤情報に引っ張られないで済むし、頭の中にざっとした地図ができる。そこから必要な項目に踏み込んでいけばいいし、この本は参考図書も巻末に主要なものは書いてあるので…

 

日本の仏教史の概説をおさらいするのにもとても良かった。最澄空海親鸞法然のポジションわかりました。比叡山は政治的におっかない。そして現在の戸籍制度にもつながる、自社の檀家制度が江戸時代にキリシタンの取り締まりの目的でできたものだってことは初めて知りました。お盆や彼岸の墓参りは、檀那から檀家へのサービス行事みたいなものだったのだろうか。保育園のバザーみたいな。

 仏教は哲学である。かなり早い段階から倶舎論みたいな難解な本が出ている。途中世俗化の過程で呪術に移行したりもしつつ、中国では禅のような実践主義が出、日本では浄土宗系の平易なものになっていくけど、基本的には世界をどう捉えるか、の探究であり考察である、というのが本書著者含めた大方の研究者の見解なんだと思う。

アジアの基本的なものの考え方の基礎は、大いに仏教によるところが大きい。それはキリスト教イスラム教の思想体系とはかなり様子を異にしている。著者は終章で、果たして仏教は「世界3大宗教」たり得続けるのか? と問うている。今の仏教研究も、明治時代に文献学がヨーロッパから持ち込まれた後、次の段階のご用意はありますか? とでもおっしゃっているかのように私は受け取った。

せっかく人類が数千年をかけて考え抜いてきた一つの哲学体系だし、こんごの社会にもきっと有用ですよ、打ち捨ててしまうにはあまりに惜しくないですかと著者は言う。ただ軽々に「これからのこんな考えにほーら役に立ちますよ」とは言わない。碩学は慎重に、こういうみかたや、こう言う考え方を振り返ってみてはどうかねとおっしゃる。

万物に仏性あり、縁起あり、という考え方は受け取りました。さてわたしらはどうしよう。