日月星辰ブログ

Vive hodie.

四時間勤務を戦って勝ち取るべきかどうか

不思議なことに日常が戻ってきつつある。

散々「これからは新しい生活様式を」とかなんとか言っていた都知事も、もう東京アラートやめるらしい。今のところ定着してるのは若干しつこ目の手洗いとマスクぐらいじゃないか。あとはまあ、外食あまり行けてないことぐらい。そろそろ父の日だが、帰省もしばらくは様子を見ることになりそうである。仕事は永久にテレワークでいいよと言われたい。

 出社時は結構いい天気で、ここぞとばかりに通勤路の家々が洗濯物を干していた。気持ちはわかる。テレワーク中はみょうにせっせと布団を干していた。晴れているからって平日に外に布団を出せないのが会社員というものだった。

 かつての日本では働いている人間は早々に結婚して、妻が布団を干したりしていたらしいが、テクノロジーが飛躍的に発達した今、そのころと同じように働いてるのってやっぱりおかしい。おかしいと思うべきである。仕事によっては帰って大変さが増えたという人もいるかも知れないが、会社に人間を縛り付けた上に人並みに身嗜みや住居の清潔を整えろというのはコクというものである。平日に布団を干すのならば午前5時におきて即布団を放り出し、出勤前に取り込むしかないが、よほどの布団マニアでない限りは誰もそんなことしてない。まあせいぜい、夜まで取り込まない洗濯物を干すか干さないかと言ったところだろう。

 週に3日、布団干したい。

 晴れのひは出来る限り、日光に持ち物を晒したい。

 掃除もできれば毎日したいのだが、やはりそれには5時起きである。私なんかまだマシな方だ。私の弟は郊外に住んで教師をしているが、7時には電車に乗らないと間に合わないとか言っていた。専業主婦のサポートがなければ無理である。好き好んで郊外に暮らすのが悪い、という向きもあろうが、そういう人間が茨城や千葉の財布を支えているのだ。感謝ぐらいあってもいいと思う。茨城県から表彰状が送られてもいい。

 かつて労働者はもっと勤労に縛られており、十四時間とか仕事をするのが当たり前だった、と以前読んだ経済学の本に書いてあった。それをプロレタリアートたちは戦って、八時間勤務を手に入れた。我々ももっと戦って、四時間勤務ぐらいを手に入れるべきなのかも知れない。何をいい諾々と、八時間も縛られているのだ。労働者。今こそ立ち上がれ。

 

今日のご飯

 雨なので外での撮影は諦めた。デザートに「鬼滅の刃」の善逸ぷりんを食べる。案外あっさりした味だった

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