日月星辰ブログ

Vive hodie.

かいものについて

ふとこのまま、今まで買ったものを使っているだけでも生きていけるのではないか、という妄想に捉えられる。

 私にとってはこの妄想に囚われるのはよくある話で、このまま、服も本も何もかも、今まで買ったものだけをじわじわと役立てて、捨てながら、最期はほんのわずかな物ばかり残して死ぬ、というのはどうだろう? ずいぶん潔いのではないか、という風によく考える。

 いわゆる「清貧」と似てるようでちょっと違うようにも思う。修道院のお坊さんみたいに我慢して我慢してわずかな物だけで清らかに生きたい、生きよう、というのではない。物欲はたっぷりある。今持っているものはなるべく手放したくない。だから、「今持っているものだけで生きていけるのでは」ということになる。

 壊れたり、使えなくなったりしたらそれは捨てるしかないのだが、買い替えを余儀なくされるものは案外と限られている。洋服ですら、ぼろくなるのに何年もかかる。ファッション誌なんかは去年の服を着てるなんておかしい、みたいな風に書いてあるが、毎年買い替えるほどのファッショニスタでない限りは、着るのは一人だし…となってしまう。

 それに比べると下着などは比較的頻繁に買い足さなくてはならない。体型があまり変わらないので、サイズが合わなくなって買うということも滅多にない。よそ行きはほとんど、相当カジュアルな場でも和服で済ませている。済ませておけば誰も何も言わん。和服は祖母の代から積み上がった財産がある。

 本も正直、10年ぐらいはなんとかなるんじゃないかっていう量を持っている。新しいものを定期的に摂取しないと、という向きもあるが、あれもファッション誌と同じ理屈だ。相当な書痴で、尚且つとてつもないスピードで読みこなせないと、あまり意味はない。自らせっせと買い集めた過去の遺産にだってすべて目を通せてるわけでもないのに、買い足すか? という気持ちがなくもない。その上仕事で読まねばならない本が積み上がっている。その上、最近はキンドルアンリミテッドとかあるし。

 文房具。これもやたらにいっぱい持っている。鉛筆なんてほんとに一生に使い切れるかというぐらい持っている。なぜ、鉛筆こんなにあるの。ボールペンとかもリフィルできるやつを使っているので、多分20年は持つ。

 持たないものがあるとしたら、化粧品と洗剤、食品ぐらいか。化粧品は流石に無くなったら買う。タバコとかは吸わないので持ってない。自転車もつい最近買ったばかりだ。定期的に点検をしてもらっているので、乗れなくなるまでは乗れるんじゃないか、と思っている。

 家電については、先日ドライヤーが壊れてしまった。あれとパソコン、スマートフォンだけはどうしようもない。10年単位で壊れるし、必需品の場合は買わざるを得ない。でもまあ、冷蔵庫だって後1台、買うか買わないかのような気がする。

 なんてこった。

 せいぜい美味しいもの食べよ。

 

 じゃあオタクは何にお金を使うかというと、もっぱらまあ、同人誌かな…

 

今日の晩ご飯はおさかな。

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