日月星辰ブログ

Vive hodie.

金木犀と給水塔

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香りはすれども姿が、なかなかにかそけく、奥ゆかしいため、ついつい覗きこむ形になる。

やっぱり、もう咲いてるんだな…金木犀の花は桜に輪をかけて儚い。そうこうしてるうちに明後日台風だって?!  

週明け香りを楽しむ前に全滅することが目に見えていて、辛い…あんまりだ…

 

18になるまで住んでいた「ニュータウン」の公園の周りに生垣が作ってあり、それが全部金木犀だった。季節でない時は甚だつまらないのだが、季節になるとそれはもう、馥郁たる香りが粘土質の山を切り開かれ、即席で作られた全200戸あまりの家々の隅々にまで満ちた。秋の訪れ、「小さい秋見つけた」、学芸発表会の頃の秋の記憶と、この花の香りが強固に結びついている。

団地、と呼び習わされていた私たちは、古来からその地域に住み着いている人々とは少し違って、家が畑や田んぼをやっているわけでもなく、商店を営んでいるわけでもなく、山を持っているわけでも、工務店をやっているわけでもない子供達であった。住んでいる人々は抽選でマイホーム購入権を得た地方都市労働者で、おそらくは皆、サラリーマン世帯であった。

両隣とはしばしば、おすそ分けのやり取りをしたり、子供同士で遊びに行ったりしたものだが、お向かいはクリスチャンだったり、斜向かいの犬はやけに吠え掛かってきたり、子供の目には見えない問題や癖を抱えた人々であったには違いない。

 

母子家庭、というところも確かどうもあって、そこの子供は明らかに周囲とは貧富の上でハンデを背負っていたように思う。一方でお父様はベルギー出張なの、とかいうお嬢様もいたが、子供は残酷で、そのどちらもが遠ざけられていた。お向かいがクリスチャンだったが、一番のお友達の家もお母さんがクリスチャンだったな。色々熱心な人で、ピアノを教わったり、百人一首を教わったりした。彼女はきっと、意識と学歴の高い人、だったのだろう。

 

その団地から家ごと引っ越してしまってから、もう10年以上が経った。帰省先ですらないその団地は、今どうなっているのだろうか。高い給水塔の立っている、80年代を象徴するようなニュータウンだ。今もまだ、変わらずあの場所にあるのだろうか。