最近、お酒を飲むと体臭が臭くなるような気がする。
加齢臭とやらの大半の原因はこれじゃないのか、というぐらい、くさい。自分のみならず、他人のそういうのに気づいてしまうと、自分もきっと飲んだ翌日臭いんだろうな―と思って気がめいります。
よろしくない。大いによろしくないです。
いっそのこと飲まない人ポジションに移行してもいいのかもしれない。「飲みに行こうぜ」は別にご飯でもいいわけだし…
お酒が好きだったり、強かったりする人は好きですが、これからは外野で楽しもうかな…。(もともと大好きなので、難しいかもしれない)
ところで、最近モノに対する執着心をさらに削っていっている過程で、気づいたことがあります。
「ナントカが欲しい」っていう姿勢は、好ましいものとして解釈されるようだ。
「ナントカは要らない」とか言うと、なぜか人はうさんくさそうな目で見たり、好奇の目で見たりする。
具体物で例外なのは、お金。それ以外は結構この方程式に当てはまる。
例文を示してみよう。
「ダイヤモンドが欲しい」
「ダイヤモンドは要らない」
見てみて。上の文章もまあ、いけすかんけど、それほど反発は喰らわないでしょ。
逆に、下の文章。胡散臭いことこの上ない。90年代ぐらいの下手なコピーみたい。ルミネの。
「ダイヤモンドは、要らない」
どうだ。さらにまずいコピー感増した。
逆はお金である。
「お金が欲しい」
「お金は要らない」
…まあこれも、結構胡散臭いか。
あと、無形物に関してはどうだろうかと思って、誰もが欲しがりそうな無形物を考えてみた。たとえば。
「特別な才能が欲しい」
「特別な才能は要らない」
どう? これも同じじゃないですか。もっとその傾向が強まりますよね。
まあそう言っても
「猫が欲しい」
「猫は要らない」
はまあどっちもニュートラルかなとも思うので、無論例外はある。
あと、
「ゴミが欲しい」
「ゴミは要らない」
は論外です。うんこも。
酒…というものについては、この「いらないと胡散臭いもの」のボーダーに引っかかっているもののきがする。いわゆる「人によって価値観がわかれるもの」組だ。
タバコとか原発とかもそうかもしれない。
なんだか支離滅裂になってきたけど、酒断ちを検討しながらそんなことを考えた。