日月星辰ブログ

Vive hodie.

「ムントウリャサ通りで」

ミルチャ・エリアーデ

「若さなき若さ」インパクトから約1ヶ月後。



1930年ぐらいの、近代型の戦争だの「同志」だの社会主義臭だのが一方でありながら、もう一方では充分に中世的な魔術や迷信、神話が息を潜めて隠れているような東欧やロシアやドイツの雰囲気が好きです。偏見的にはアメリカの田舎なんかもそんな感じがします。ナチスは密かに魔術を研究し、レーニンの遺体はまるで生きたままのように保存され、ラスプーチンは矢で滅多刺しにされても生き延びるとか、そういう空気感です。
エリアーデ幻想小説がうらやましいまでにゆかしげなのは、きっとそんなノスタルジックな部分が大きいのではないだろうかと思います。生まれてもいないのに、ノスタルジック。娘さんは木綿の白いワンピースに木靴を履いて、みたいな。月夜に素っ裸でマンドラゴラを引き抜きに行くの。
事実本作にもマンドラゴラを引き抜かんばかりの神話的な美女だの、酒場で歌を歌いながら、自分が誰か魔術師の生まれ変わりだと思っている美女だの、あるひふいにふらりと現れて年齢の知れない美女だの、すばらしい美女づくしで、これだけでももう充分、ロマンチックな世界観に浸れるんですが、民話的迷信世界と政治的の世界が工作するというプロットがたまらなかった。これだよ! これこれ!

…なんだろうなんかこれなの。政教は近代をもって分離を強要され、表向きは二人は別居してるようにみえるし、そうしているうちはみんな安心で、幸せだ。でも奴らはやっぱりもとはどろどろに溶け合っていた仲で、裏ではそっと目配せしたり、小指を絡ませたり、コート越しに手をつないだりしてるんだ! という感じの、近代臭がもう本当にたまらん。彼らをまたつがわせてはならない! でも、ああ、なんで政と教がからむとどうしてこうえろいんだ!