日月星辰ブログ

Vive hodie.

「グラスホッパー」

伊坂幸太郎

あ・わたしの感想はいつだってネタバレが前提ですよ。だってネタというのは、作家にとっての=思想で、思想に言及しないことには、誠実な感想は書けないじゃないか。
というわけで、読んでない人は、読んでから。



ヴィランたちの心地よい絶望。

3人の殺し屋が登場するこの物語。それぞれにとても個性的で、それぞれが一つの物語の主役を張れそうなパーソナリティ。
鯨という「自殺屋」、純正な、典型的且つ模範的なナイフ使いの蝉、そして謎に包まれた「押し屋」。
依頼を受けて人を殺す彼らは、ところが神のように公正で、澄んでいて、恐ろしい。
なんかこないだ眺めていたテレビで出てきた、「神々の 遊び」云々、という芸人さんのネタを思いだした。3人の神は遊び戯れるように対決し、そうして自ら滅んでいく。
あーだから、「押し屋」も本当は滅びるべきだったのだろうなあ、と思ってしまう。「押し屋」を残した伊坂先生は意外と…なんだ、愛情深い人だ。

3人の死に神めいた殺し屋さんたちも当然悪役なんだけど、もっと凶悪でコツブなのも一杯敷き詰められている。寺原とかヒヨコとか、梶とか、岩西とかね。彼らは3人の死に神ほどの力もないしどうかんがえても小物だけど、まあ人間に到達できる悪人レベルなんて所詮こんなものかなあとも、思う。いや・こんなものでなければならんのだ。死に神のように極まった悪人なんてそうそうころがっていてもらってはたまらない。
主人公めいた立ち位置の「スズキ」も小市民かというと絶対違う。彼もまた、フィルム・ノワールみたいなのに出てきそうな立派なヴィランだ。あんなのがそりゃ鯨みたいな死に神と対峙してはいかんのだ。ころりである。なんだか物語の主導権を握っているので可哀想げな顔をしてすましているが、やつは悪いぞ。相当悪い。
でも、明らかに、彼は「勝たねばならない」駒で、そうしてやっぱり、勝ち、生き残る。わたしらはほっとする。今回も意志の力が勝ち。
死に神ではなく。