日月星辰ブログ

Vive hodie.

新宿バルト9で5回目

行って参りました…!
深夜上映で、始まりが24時。うーん良い感じです。周りの人が寝てたらどうしよう! やだなあ! と思いましたが、あのえいがで寝られるわけない。

バルト9は音響が若干、ピカデリよりいい気がしました。音でかい。銃声なんか椅子がびりびり震えるぐらい、でかい。他にも音楽等の面でいろいろ違った気がする。いや、前に見たときは耳がまずかったのかもしれません。会社帰りとかだと、疲れてて諸感覚が麻痺してることが多いので…!

5回目でありながらまだ新しい発見があるというか、うーんきちんと理解できてる自信がありません。すごいえいがだな! 5回も見たのに! 今回は字幕を意識して読んでみた。映画の字幕って、省略が多いだのなんだのっていろいろ文句も多いけど、要約の妙が美しい、名文だと思います。英語だと3行ぐらいの長い台詞も、ばしっと一行で収める。しかも表現がしゃれてる。字幕をつける人が、洋画のおしゃれさを牽引しているのだと信じて疑いません。英語でネイティブがみたら、作品によってはダサイ表現もあるのかも知れない。

まあ「ダークナイト」の脚本は終始一貫しておしゃれ表現満載だ、と信じて疑いませんよ私は。

でもやっぱり、冒頭ふきんのGambolの台詞"5 hundred grand for this clown dead."のあたり、一言「こいつを」と入れてくれたらもっとはあはあなのにな、とか、いろいろ。上記の台詞は初見の際、「え、殺すって誰? バットマンを? それともジョーカーを?」と混乱したのを覚えています。まあ、後のシーンでちゃんと通るようになっているので、いいんですけど。そういう説明のそぎ落としが美しい。

以下、今回の発見について。…初見から気付く人も多そうだなー…。





●レイチェルを助けられずに帰ってきたバットマンが、早朝、悄然としてソファに座っているシーン。試合に負けた野球少年みたいにバットスーツの各種パーツを点々と脱ぎ散らかしているのは前から気になっていたのですが、アルフレッドと話しているシーンで涙を浮かべているのを見てしまった。なんてかわいらし…!
●お札を焼き払うジョーカーが、チェチェンを部下がずりずり引きずるのを見届けた後、「電話しなくちゃ」って電話してる。そうそう、あれがテレビに繋がるんだよね。予告からたったの60分でナース服に着替えて(そこじゅうよう)デントを襲撃、毒の言葉を吹き込んで病院爆破。爆破は周到に準備してあったとしても(多分リースが出ようが出なかろうが、何らかの選択の天秤を用意してデントをかっさらっていこうと思っていたに違いないだろうから)、確かにこのあたりはすごい手際過ぎます。でも無茶だとは感じなかった。むしろこの手際がジョーカーというキャラクターをより魅力的に見せるわけですよ。

フェリー爆破にしても病院崩壊にしても、意図して用意したカードの何枚かであることには違いない。自分で言ってた。「ゲームには切り札が必要だ」って。まあ、フェリーと病院の件が「普通の捨てカード」というのもすごいけどな! でも、じゃあジョーカーにとってのこのゲームの勝利条件ってなんだろう? バットマンを絶望させることか、街のみんなを荒ませることか。その両方か。

彼がバットマンにむかってどんな「傷の物語」を語るのか、すごくきいてみたかった気が、する。人によってカスタマイズしてくるからな。

あとやはりジョーカーが“最凶”でありながらこうも人を引きつける理由は、常に捨て身なところかと思います。何にせよ、保身ほど人間にとって大切なものの筈なのにみっともないこともない。自己保身だけは絶対にしない捨て身っぷりがとても鮮やかで、かつ場面によっては憐れですらあります。生きることにはもうとっくの昔に飽き飽きしていて、でも自殺するのは面白くない。普通の、命を大切にしている人々に平気で自らの命を賭けていくところがもうなんていうか。
ヒーローもしばしば犠牲のために捨て身になりますが、ここ最近はそう言うキャラクターって、古めかしくさえなっていた気がするんですが。熱い自己犠牲でなく、クールな捨て鉢ぶりが、現代風とも言えなくもないか。


えいが終わった後、席を立った後ろの男の子4人集団が、「すげえ…すごかった…!」と感嘆しきりだった。共感。そうだよねえ、そうだよねえ!