日月星辰ブログ

Vive hodie.

読書感想「永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」」 矢崎泰久編

3月31日読了。今から図書館に返しに行かなきゃならないので、先に感想書いておく。

仕事で「話の特集」のことを調べる用事ができて、基本的な情報をWikipediaでおさえたあとで地元の図書館の蔵書を検索して、「「話の特集」と仲間たち」という本を見つけた。その本もとても面白かったのだけど、そのついでにかりた3冊のうちの一つ。ともかく周辺のトピックを大掴みに把握しておきたくて借りた。3冊とも面白かった。

 

永六輔の一人称で書かれているが、矢崎さんが補足や裏取り、整えなどをやっているんだろうな、と思う。もとはクレディセゾンの「てんとう虫」という会員用の情報誌(なんか、定期的にとどくやつ)に掲載されていたエッセイというから、一世を風靡した詩人、放送作家ラジオパーソナリティの最晩年の作品としてはなんだかちょっと寂しいような場所ではあるものの、文章そのものはとてもいい。逆に、今の大手出版社ってもしかして衰えているのかな、と思ってしまう。最晩年だろうがなんだろうが、書ける限り書かせてあげようよ、作家には。
 特に昭和のスターたちの逸話などは、忘れようと思えばすぐにでも忘れ去られてしまいそうな時代である。昔からそんなものだったのかもしれない。そのなかで、自ら流行を作りながら古いものを守り、伝えていこうという気概を感じるんだよね、この世代には。永六輔伝統芸能をよく見るひとで、自らのラジオ番組などにもそういう芸能を伝え広げようという姿勢を持っていた。小沢昭一も、大道芸やら落語やら、猿回しまで見出して全国区にさせた。そういう話が載っていた。


 面白いのは後書きで、「表向きは仲が良さそうに見えた野坂昭如永六輔小沢昭一は実は裏では仲が悪かったんだよ」という矢崎泰久の言。お互いにライバル視しながら、認め合っていたなんて胸熱じゃん。裏も表も仲良しさんみたいなのが昨今は受け入れられやすいみたいだけど、こういう関係はいいものだ。どこかにぎすぎすというか、緊張感がないと長い付き合いなんて続けて行かれないのかもしれない。甘えが出ちゃったりね。この三人はともかく、矢崎泰久永六輔は正真正銘大親友・・・に見えるんだけど。二人の対談本「ふたりの品格」「ぢぢ放談」も同じタイミングで借りて読んだのだけど、そっちはともかく笑える感じ。仲良しで、教養豊かなおじいさん二人が延々と話している対談本なんだけど、活字で本気になって声出して笑えたの、久しぶりだった。「ぢぢ放談」のほうはお説教が入ってくるけど、「ふたりの品格」はいい。くしゃみして入れ歯が飛ぶとか、すぐ賭け事の話に傾こうとする矢崎翁とか、面白すぎる。自分がどのタイミングで笑ったのかあまりちゃんと覚えていなくて勿体無い。こんど再読して、笑えたところに片っ端から付箋を貼っていきたい。

小沢昭一が「この国は中の下ぐらいでいいよ」と常々言っていた、という話にちょっと感化されちゃった。国全体が中の下でいいよ、というのはともかく、自分の暮らしも中の下ぐらいでいいのかもな。「ぢぢ放談」では自宅のおトイレをボットン便所で死守していたのに、出張中に奥様に無理やり改装されたという話を矢崎・永ふたりに暴露されてた小沢昭一…「ぢぢ放談」、本を読んだ小沢からクレームが入るまで(ぼっとんの話についてだけとは限らないだろうけど)がセットのシリーズみたいだけども、そういう肩肘張らない、見栄を張らない、競争しない生活っていいな、と思った。それでいてみんな文化人なんだからさ。人と見栄を張り合う時間があったら勉強しなさいってことか。

Twitterで流れてきた、廃墟みたいになっちゃってるのにいまだに営業しているお風呂屋さんの写真をみて、人を呼びたいなら少しは改築とかしたらいいのに、とか思ったのだけど、ああいうところにしか行けないひともいるんだろうな、みたいなことが考えられるようになったのはここ数日の「話の特集」関連の読書が起点になっている気がする。与太者ヤクザものだって存在できるのが清濁併せ呑むということですよ、みたいな哲学が4冊とも根底に流れていた。

 

SNS制限

人生何度目かの「SNS制限」を8月は己に課すことにした。

 もはや「余計なことをのべつに発信する」を制限するという段ではない。つい気を抜くと閲覧してしまうほうすら、戒めるのである。戒めよう、と思ってはじめて、相当深刻な中毒であることをほとほと、思い知らされた。

 昨日はあまりに原爆のことについて考えすぎて、原爆の夢を見た。見て4時過ぎに一度目を覚ました。いつもならこういう悪夢を見た後には、ツイッターを覗いて、夜遅くまで起きてくだらないことを言っている人たちに救われたものだが、今日はぐっと我慢。まあ、ポケモンスリープを久しぶりに仕掛けているので、スマホに触るに触れないというところもある。突発的な不安なんかは割とすっと収まって、すぐに睡魔がやってくる。そういえばツイッターを本格的に始めたのも、2011年の震災以降だったか。

 禅の修行などで、自然と押し寄せてくる妄想や過去の記憶などから目をそらし、ただ、今の状態のみに注目するというのがある。本当のところは座りながら何に向き合っているのか、私にはよくわからないが、マインドフルネスの入門書なんかにはそんなことが書いてある。思考というのはそれほどかくに騒がしい、ということか。

 中毒についてはいきなり断っても大丈夫なのだろうか。いささか不安である。まあ、禁酒も禁煙もいきなり断たねば意味がないらしいから、いきなり「断」のほうがいいのかも知れん。まったくSNSというかネット社会に触れないのもまずいので、はてなブログはオッケーにした。というか、長文を書くリハビリテーションをしなければ、あの「マイクロブログ」のフォーマットに馴らされすぎて、長文で何かをじっくり考える筋力がすっかり落ちてしまった…んじゃないか、と思う。

 とかいってさあ、ブログへの投稿の告知とか、なんでもツイッターに頼りきりではある。あと正直、今このタイミングで「ツイッター卒業します!」とかいうのもダセエと思っているので、間接投稿はやめない。やめないったら。

 あまりにTL見すぎ問題で人生の時間がもったいないので、多少節約してほかの事に使おうと思います。

 そうだ、「本日のツイッター閲覧時間」を公表してくか。いい考えだな。

 

本日のツイッター閲覧時間(スマホベース):

所見:アンソロの連絡などはまだDMに頼っているので、データのダウンロードや執筆者とのやりとりではまだまだ使っているきらいがある。

 告知などはピクシブも活用すること。

 

今日の結果

 

ゲームの方が酷い

しかし1時間ちょい。まあまあ。以内を目指そう。

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以上です。よろしくおねがいします。

 

ツイッター亡き後の

ツイッターという名前は消えたが、まだ全然いつも通りに使っている。「避難場所です」と言いながら各々、いろんなSNSを作っているようだが、そちらで豊穣なる情報交換や活発な活動が見られるかと言うとだいたいそんなことはなかったりする。それについては私も多分に漏れず「そう」なので、人のことをだからといってどうこう言うつもりはないわけだけど、あんなにイーロンマスクに文句言ってたのにね… と言う人まで「そう」だったりするとついニヤッとしてしまうわけである。

球場巡り:明治神宮野球場

読んだ本の感想も差し置いて、ついでに言えばまだ岸辺露伴の感想も書いてないけど、神宮の観戦記を書く。

 

神宮球場、正式名を明治神宮野球場、という。六大学野球の舞台でもあるので一度行ったことがあるが その頃はあんなに素敵な球場じゃなくて、外野に座席すらない場所があった…ような気がする。記憶が曖昧である。

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お友達のスワローズファンの方と待ち合わせた。最寄りの信濃町駅からしてスワローズ仕様になっている。

 

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アトレ内に神社がある。

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どうしても行ってみたかったつば九郎ハウスへ。

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つば九郎の人となりが随所ににじんでいるかといえば、どちらかというとリビングまでは普通にチームのプロモーション色が強い。チーム応援の象徴となる傘や、歴代選手のサインボールの展示、だまし絵的な写真が撮れる「網走ビール」とのコラボ壁画、モニタで流されているのはチームプロモーション映像。ここまでは特段の驚きはない。

つば九郎ハウスの神髄はむしろ、彼の私室にあると思われる。1960年代ぐらいに生まれたおっさんをほうふつさせる私室…つば九郎さんのツバメスメルが立ち込めんばかりの作りである。おそらく、ちょっと香ばしい、インコの体臭をさらにワイルドにした感じの。

 

つば九郎ハウ巣を出ると、すぐお向かいにオフィシャルグッズショップがある。そこで村上宗隆選手のタオルとつば九郎のぬいを買った。ショップを出たところには「網走ビール」の出店もある。さすがに入場時間すら前だったので買わないでおいたがちょっと後悔。網走以外で網走ビールを生で飲めるなんてなかなかないですからね。

 ヤクルトスワローズはおなじみの縦じまのユニフォーム以外にも、黄緑色と青がチームカラーらしい。こっちは目立つが、公式戦などで着るにはちょっと目立ちすぎる。

 ちょっと早いよね、と思いながら場外のフードなどを買いつつ会場を待っていたら、なんだか70代くらいのおじさんにやけにじろじろと見られる。だしぬけに「それ一つちょうだい」とか言い出す。私が持っていたのは内山選手プロデュース「ウッチーズポテト」だ。ヘルメットをひっくりかえした中に、フライドポテトチーズがけが入ってるやつ。

 ビジュアル的にアピール満々ではあるが、さすがに。おっさん、子供か。

 自分で買いなさいよ。向こうで売ってるから……

 たとえ可愛らしい五歳の少年にたかられても同じ塩対応をする自信がある。五歳だろうが65歳だろうが赤の他人にポテトをたかるとはなかなかのハートの持ち主だ。なんとなくぬらりひょん的な愛嬌を感じる。

 

 会場にはものすごく早く入れてしまった。中にも物販がたくさんある。燕党ファンのお友達は「いうて銀だこ」と言っていたので、銀だこでたこ焼きを買った。それから、唐揚げ「じんから」がとてもおいしかった。

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これはウッチーズポテト。

 

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 球場でいつも困るのは、いざ席を外そうとするときにアワアワしちゃうこと。三時間を越す長丁場となりがちな野球観戦で、途中トイレ休憩は必須だが、フードだのなんだのがまだ残っているとうかつに席に残しては出ていかれない。戻ってきたらビールがかかってるかもしれんからね…。

 お友達のご好意でかなりよい席だったので、前回の「ビジター外野応援席」よりもずっと過ごしやすかった。ビールも頼んじゃったもんね。

 試合は惜しくも負け。どうもヒットが得点につながらない辛い試合だった。あまりに試合が長引いたら帰りにくくなる、とお友達が心配していたが、なんとかタイムリミット前には終わった。逆に言うと、後半はわりとあっさりした試合になってしまったと言うことだ。

 ヤクルトのクラブハウスはみんなが駅へと帰る道の途中にあるんだよ、ということをお友達に教えてもらった。

「村上が打てなかった時さ、ガチファンのおっちゃんが『出てこいこのやろー!』って」

 齢23にしてそんな、為政者みたいな体験しとるんか。いろいろすごい。

 いや、村上さんには頑張ってほしいんですよ。

 才能を遺憾なく発揮した彼がにこにこしててくれることを祈った。

 

 

そういえば

最近俳句にハマっています 独学というか、適当ですが。

短歌よりも制限されてて、そらもう、もののあはれどころかワビくらいしか表現できないだろうなと思います。潔い。清々しい。

 

ここ数日で作った句を置いておく。あとで自分が見返す用である。

 

朝顔や咎人のごと息潜め

たなごころ生命線を蚊に喰われ

submit押す指先の稲光

蝉時雨ネットの中のぬい二つ