昨日、努力した方が正比例して評価ももらえる素晴らしい世界について語ったのだけれども、基本的に私は日々の雑感を非常にゆるく綴っていく場として捉えているので、気まぐれにコストをかけたりかけなかったりするのが好き。
昨日まで奇妙な天気で、特に昨日は夜に突然大雨が降り出して雷がなり、大変だったのだが、今日はすっかりからりと晴れて平穏な日曜日だ。
洗濯物を渋々いくつか片付ける。今使っている洗濯機が非常にチャチで、小さなやつなので、少しずつしか洗えない。シンプルライフでいいかなと言ってもこれはシンプルすぎる。
しかも今日び見ない二層式。
先日、脱水槽がいきなり壊れて修理に出して大変だったのよ、というような話を親にしたら、にべもなく「全自動買いなよ」と言われたやつ。
戦直後生まれぐらいの世代に言われると何か刺さるものがある。
私と二層式の歴史は、以前の物件住まいの頃まで遡る。今から約6年ほど前の話だ。
当時の住処は今とは比べ物にならないぐらい狭かった。今は2DK、南向き。荒川は越すが広くて快適。
昔住んでいたところはまあ鉄筋物件だが、とにかく狭い。居住スペースは5畳ちょっとしかない。
そこに大量の本と一緒にいろんなものを押し込んで住んでいた。今考えると無茶してたなと思うのだけれども、流行りのミニマリストにはいいところかも、しれない。
炊事はちっちゃい電熱器でやることになるし、キッチンワゴンをおいたら体を横にしないと玄関に出られない。今よりもさらに無駄なものかいだめ癖があったので、本当にすみづらかった。
その頃の家についていた洗濯槽置場が、2層式対応だったわけである。
全自動を置くと扉が閉まらない。しょうがないから二層式で乗り切ったが、まあ、仕事もしてて上手く回るわけ、ないよね。
たまらなくなってここに越してきたわけだが、今度はこの物件では、洗濯機が外おきだった。
高価な洗濯機なんて買いたくもないわ、とそのままにして幾星霜。
いや、6年ほどが経った頃、流石に限界まで汚れてしまい、先代は廃棄となる。
さてじゃあ、洗濯機のない生活をしばらく楽しむか、などとまた詮無いことを考え、洗濯板を買ったりしてしのいでいたが、流石にちょっとは、と思って今の洗濯機を買い求めた。
ちなみにこれ。
9800円なんですよこの子。ただよくスペックを見て欲しい、2.8キロマックス。しかしべつにスペックそのものには不満はない。自分でも運べる洗濯機、その一点で選んだとも言える。
一人暮らしだし、服にあまり興味ないし、とか言ってこんなものを買ったが、一人暮らしだと毎日洗濯をしないということにいつ頃から気づいていた? まだ気づいてない? ダメだなもう。
壊れて修理に出している頃はマジで手洗いのみで乗り切っていたが、そうすると私生活が圧迫される。いや、楽しいんだけどね手洗い。
今でもたまに手洗いはする。靴下とか、お風呂の前にさっと洗えばすみそうなやつはそのほうが早い。ベランダに出るのが億劫なことの方が多いから、結構洗濯板は使えると思う。でもなあ。
贅沢しない暮らしってのは、「お金を贅沢しない」暮らしと、「時間を贅沢しない」暮らしってのがあって、とあるお金持ちは著書の中で「時間をお金で買うというのは、寿命を買うようなものである」と喝破していたな、とか思い出した。その人はあまりに時間に気を使いすぎて、「食器を洗うのは時間の浪費である」とし、使い捨ての食器を使うようにしたらいきなりQOLが下がったみたいなことを言っていて、それはそれで極端やなあ、と思ったんだけども。
じゃ、「どのような時間の使い方が清貧的な時間の使い方か」って言われるとなかなかこれが答えが難しい。人の役に立つことを常にやっているのが、多分一番無駄使いしてない感じだろうな、とは思う。
ブッダは悟りを開いたのち、まさに時間を惜しんでそれを人に解き回ることをブラフマンに課せられた、というのを手塚治虫の漫画で読んだが、それは究極の寿命の使い方だとしてさ。
我々にできる、「滋養に満ちた、誠実な時間の使い方」って、なんだろ。