「I like rainy days 」とか、猫ちゃんに言われちゃあなあ…
このところ、秋の長雨続きである。
夏の間はずっと晴れてて、むしろ殺人的な夏の日差しが痛いくらいだった。夕立変わってゲリラ豪雨も、去年ほど酷くなかったように記憶している。その分、秋雨で本気出すわよ! と言わんばかりの雷雨と豪雨……勘弁。
この傘は3 Coins(スリコ)で二足三文(正確には300円)で買った。今日び、ビニール傘は100円でも買えるが、コンビニでは相変わらず500円ぐらいする。持ちが違ったり、色々いいのだろうが、世界有数の傘消費量と思しき日本で、ことさらに傘にこだわることもなかろう。
確かにね、もう骨のところが錆びてきてるけど。
ビニール傘に柄が入っているのは、実は意外とありがたいことで、これがあるのとないのとでは、盗難にあう確率がグンと下がったりする。以前、上野で買い求めたパンダ柄のピンクのビニール傘は実に3年以上、盗まれもせずに頑張っていた。デザインというのは「属人性」を多かれ少なかれ加味してくれる。少女が持つようなブリブリの傘は、おっさんは盗まない。案外とそういうのが大切なのである。
ビニール傘を盗むやからなんて、そんな軽い気持ちで盗んで行くのである。
逆に、「ご都合よく忘れていかれた、結構なブランドの傘」はまずもって戻ってこない。案外人間はさもしい。あれだけ大勢が電車に乗っていれば、さもしいやつもある確率で乗ってこよう、ということなのかもしれない。人の傘を盗んで使って、使うたびに「これは盗品」って思うのってどうなんだろう? ビニ傘ならば、先ほど申し上げたようにほぼ属人性はないから、まあそれほど気にならないかもしれない。が、結構なブランドの傘だとは言っても、3年ほど使い込まれた、すでに取っ手のところがじわっと曇った傘なんて…使うたびに「誰か見知らぬ人の手垢が染み込んだ盗品である」って思いながら使うのってどういう気持ちなのだろう? ねえどういう気持ち?
一度傘を盗む系の人にとくと聞いて見たいところである。案外面白くもない回答しか、帰ってこないかもしれないけども。
そんな荒んだ話をするつもりは、朝の時点ではなかったはずだが、気ままに書いていたらいつの間にか荒んでいた。
この猫の傘は、しゃあしゃあと猫が「あたい、雨の日が好きよ」と言っているところが気に入っている。見るたびに「はあ、さいですなあ」と呆れたような、諦めたような、まあ雨でもいいかなというような、暖かいような、シニカルなような、それでいて嫌じゃないような気持ちになるところが、特に気に入っている。願わくばしばらくは無くさず盗まれず、活躍していただきたいものだ。
盗まれるみたいな荒んだ話とは別に、もう一つ傘には不思議なジンクスがある。私だけに通用するやつで。
どうも私、美味しい店で愉快な時を過ごして、まあ多少酒を過ごした感じできこしめすと、傘を忘れて行くらしいのである。
美味しい店ほど忘れやすい。この間は大学の頃のお友達に誘われてまんまとゴチになった、一回の食事が1万円もする名店に、まんまと安っぽい傘を忘れてきてしまった。それはビニ傘ではない、ちゃんとした傘である。でもまあ、結構なお値段というわけでもない、その辺のルミネでいっぱい吊るしてあるやつの中の一本である。それでも柄はそこそこ気に入っていた。
この前も似たようなことがあって、大山の縄文豚やとか、新橋の肉バルとかに、それぞれ一本、私の傘が置き忘れられた。そのまま捨てられたかもしれないし、急な雨に難儀したどこかの誰かの手に渡ったかもしれない。難儀なことに惜しい傘であることは稀で、まあおいて言ってもいいかな、というレベルのものに限って、忘れる。と言って、そういう日に限ってビニ傘ではなかったりする。
しかし、わざわざ取りに行くのも億劫なので、放っておいてある。もうこうなったら、美味しい店ほど忘れて行く、ということで、店に忘れた傘は取りに行かないことにしようか、と密かに思っている。
いつかこの猫の傘も、お魚の美味しい何処かのお店に、置き忘れられるかもしれない、と思うと何やら不憫なような気がして、つい写真でも取っておこうか、ということになる。