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日月星辰ブログ

Vive hodie.

「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」

あれ? これあれ、初めのバーニィさんも怪しいよね?

 

「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」が面白かったのでこれはディック祭りをしようかな、と思って次はこれだ、と選んだのが本作です。なかなかいい選択だったと思う。

 ディックはねー、何を書いてもネタバレになるからねー、などと脳内大学生さんがほざいているが、本作およびアンドロイドについてはそうだねそのとおりだねというかんじ。伝説的な作品でファンも多いけど、あらすじについてさかしらに語っている人ってあんまりみないよなあ…なんでだろうなあ… と思ってたけど、なるほどそういうことか。

 

 ディックについてはあとは「ヴァリス」しか読んでないので、私にはまだ無限の楽しみが残されている。まあ「ヴァリス」についてはよく覚えてないけど。

「アンドロイド」と本作はかなり印象に残ったので、これで晴れて「読みました」といえる。ようやく。

「アンドロイド」にしても、「パーマー」にしても、ディックは「権力側」と「底辺」を登場させてそれぞれに結構綿密に書き込んでいる。「アンドロイド」ならリック・デッカードが体制側でイジドアが底辺。「パーマー・エルドリッチ」ならレオ・ビュレロやバーニィ・メイヤスンが権力側で火星に住む人々が底辺である。「アンドロイド」では人間と人造人間の決定的な差異を、「パーマー・エルドリッチ」では真実らしい体験とまがい物の体験がいかに見分けにくいものなのかを、それぞれ書き表している。

 はっきりと言葉には出来ないが、一目瞭然のアンドロイドと人間の差異。幻覚と現実の見分けが徐々につかなくなる不可分性。

 ところがこの二つとも、根底に流れている哲学はどうやら同じもののようで、人間の思考や精神などというものがいかに危うくて、ひょっとするとまがい物でも十分通用して、…とはいえ決定的に人間を人間たらしめている。「アンドロイド」のリックは自分を『ひょっとしてアンドロイドなんじゃないか』と疑い続け、「パーマー・エルドリッチ」のバーニィもまた、今この現実が果たして幻覚か本当か、を常に疑っている。