こんな「小説」を書いて、高く評価されるなんて。ずるい。と思った。
小説として、プロットがかっちりあるように、一読では見えない。一読して、これを書く前に思い返してみてもやっぱり、随想の断片みたいな感じしか残らない。もっと違う読み方をしてみると、「おわあ」って俄に啓けるものがあるのか…。
ただ、よくいわれる「日本一の美文」というのだけはほんとにつくづくわかった。いや、すごい。何気ない日常みたいなのでこんなに読ませる文章ってなかなか見当たらない。これぞ美文、多分現代日本語で書かれた文章の最高峰、っていうのもそうなんだろうなとは思う。逆に言うとそこしか読み取れない自分が歯がゆい。どうも私は、砂浜をうつむいて、ひとつひとつ綺麗な貝殻を拾うようにしか本が読めないんだと思う。小ネタとか、キャラクターのちょっとした印象に残る描写とか、いいセリフとか、そういうのを拾うのは得意だけど、こう、遠景を眺めてほう、というのは苦手な気がする。
こりゃ人生を半分損しているな、と思うので、慌ててプロップ入門みたいな、「物語の法則」などにすがってみているものの、それはそれとして、古井由吉ですよ。
文庫の後ろの表紙(業界用語的には、表4とかいうのだろうか)に、編集者がひねり出したあらすじとかが載ってるじゃないですか。そこをちょっと引用すると、普通の小説読者なら「ん?」って戸惑うと思う。私も戸惑った。どうしてそうなる。
寺の厠でとつぜん無常を悟りそのまま出奔した僧、
初めての賭博で稼いだ金で遁世を果たした宮仕えの俗人――
人間の営みは時空の切れ目なくつながっていく。
えええ。
中山競馬場=古井の日常、っていうことでいいの? いいんです? いいんですか?
私が馬鹿なのか。
日本文学の可動域を限りなく押し広げた文学史上の傑作。
あっはい。
いや、あの、誤解を招きそうなので言っておきますけど、私はこの本で完全に古井由吉にドハマリしました。新刊の「雨の裾」も買おうと思ったし、競馬本もちょっと欲しいと思った。とりあえず、大学時代に真面目に読まずにいたのを激しく後悔した。
でも…これができるのは、古井由吉だからだよね、という気分も満載。そして多分、凡百の作家が同じことをしたらやっぱりみんな、怒るんだろうな、とも思った。どうなんだろう。まあ、いまから同じことはどのみち出来ないんだろうけど。
私の好きなエピソードは、「今暫くは人間に」の、解説にもある賭博で得た金で出家する男のお話。月の半々で別の家の屋根で読経して、老後余生を暮らすってやつ。ああ、これなら人知れず死んで、穢を長々と終の場所に残さなくて良いし、評判にもなるし素晴らしいじゃんね、何しろ衆人環視の中ですから、と思いました。この往生はいいな。あと競輪場の描写がすごかった。大作家の目にはそう見えるのか。馬でなく、人に賭けている、というなにかがそうなるのか。
やっぱり貝拾いくらいしかできてない。出直してきます。
小説って…幅広い。