日月星辰ブログ

Vive hodie.

人間、軍隊なんかで生活できるようにはできてないもんですよ と従軍経験者は語る

小説として読むと若干、「読みづらい」と評判?の小島信夫ですが、ことこの主題に置いては、その、喉に小骨が刺さるかのような、アナログのテープを、のべつにキュルキュル、巻き戻しては少し聞いてみたり、慌てて早送りしてみたり、引き伸ばして再生してみたり、というような、なんとも言えない文体がしみじみ、味わい深いような気がする。

 

戦争の勇ましさも、ドラマチックさも、悲しみすら何もない。だらだらと続く日常の延長線上にある「戦争」。小島信夫の描くのは、主に自身が従軍したという中国戦線である。

高慢な若者の上官に適当なことを言われてみたり、隊長であっても部下の横溢なやつに翻弄される気弱なのがいたり、もうここに書いてあることは21世紀の日本の企業内部の陰鬱な人間関係と多分さして変わりがない。人間というのは過酷な境遇に置かれても案外普通に、人間をしている。ちょっと違うところといえば、肉体的に追い詰められているために、中の人間関係もゆがみやすい、というところだが、ドラマチックで陰湿ないじめや、奇跡的なチームワークというものは、まあ、やっぱりどこに言ってもごくまれな現象なんだな、と思う。

つまりはこの戦争小説、どこひとつとしてかっこよさげなところはない。どこまでも日常の延長のつまらないもので、その代わり環境と肉体ばかりは過酷である。はっきりいって損。肉体の酷使の果てにはなにかしらの激烈なドラマがあってほしい、と思うものだが、そういうのは戦闘そのものにこそあるのかもしれないけど、そんなものに巻き込まれたら死ぬか殺すかなのであって。正直言ってドラマを体験するために云々というにはちょっと、ハイリスクだ。そのくせリターンは全然悪い。

正直言って、例えば手塚治虫が若干興奮ぎみに語る大阪大空襲の描写より数倍、「戦争っていやだな」と思える作品で、こういうものこそ盛んによまれて、そうして戦争なんぞにロマンを抱いているアホな人々の脳髄を精神的に粉砕してもらいたい。手塚は手塚で、自らの体験から心の底から「ごめんだ」と思って描いているはずなのだけれど、天性のストーリーテラーの性なのか、かなりドラマチックで、そんなに悪く無いのではないか? とまかりまちがって思ってしまうような節がある。

その点、小島信夫の作品は、どこまで行っても広がっているのは灰色の空で、リア充がのさばり、非リアが虐げられる。環境が過酷なだけ、その点はとりわけ厳しい。日本人には広すぎる大地から、ぼんやりと城壁が消えたりする。ぜんぜん楽しくなくて、憂鬱で、つらいばかりの戦争がたしかに書かれている。