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日月星辰ブログ

Vive hodie.

彼は砂の上を歩いてくる、海上を渡る神のように

サン=テグジュペリ『人間の土地』感想です。

 

 毎年新潮社は「新潮社 夏の100冊」というフェアをやって、別に本一冊ずつはお値段据え置きなんだけれども、まあマークを集めてささやかなプレゼントが貰えたりするのは、本屋通いが好きな方ならだれしもご存知でしょう。きいろい表紙の小冊子がついていて、一時期マスコットはパンダだった。いまはへんてこなロボに変わったらしい。

「YONDA?」ってのはなかなか押し付けがましいけれども、でも毎回名作揃いでありがたい、ある年には読破してやろうと夏じゅうせっせと文庫を買い集めては、読了したら小冊子に銀のシールを貼ったりしてましたが、あんがい読めないものです、7・8月トータルでせいぜい頑張ったところで20冊くらい。おさいふもそれぐらいになると2万円くらい掛かっており、そのくせ本は文庫ばかりが増えるので、やめてしまいました。しばらくやめていたけど、今年は「さてはて、何がラインナップされているかのう 一冊ぐらいかってみるか」といったゆるい感じで手を出してみた。

 

 サン・テグジュペリにはすこしばかり因縁と、思い入れがある。

 ひょうきんで三枚目なキャラクターで、いまでも時折、まるで幼児みたいな私の父が、母とのお見合いデートの時に、「どんな本を読みますの?」という質問の答えとして、「サン=テグジュペリなどを愛読します」と答えたとか、答えないとかいうのである。『星の王子さま』しか知らなかった頃はなんて口説き文句だずるい! なんて思っていたけど、我が父は航空関係のエンジニアで、そういう視点でならまあ、分からなくもない。ヒコーキ乗りの話のほうだな。

 

星の王子さま』では主人公は、サハラ砂漠での散々な不時着のあと、一人のすてきな少年と出会うけれども、この「人間の土地」のクライマックスは名も知れぬ、「あらゆる人間の顔」をしたリビア人が現れる。とにかくこの本、いろいろ素敵なエピソード満載なんだけど、「砂漠のまん中で」で描かれる、読んでるこっちもカラカラになりそうな、不時着先の砂漠での数日間の描写が秀逸なのだ。

「人間を、十九時間で、干物にしてしまう西風が吹いている。ぼくの食道は、まだしめきられてはいないが、こわばって痛い。何か掻きむしるようなものが、もうそこには感じられる。やがて話に聞いている、あの咳が始まるはずだ。ぼくは待っている。(中略)この斑点が、炎に変る時が、いよいよぼくの倒れる時だ。」

 オアシスに期待しては裏切られたり、幻聴や幻覚を聞いたりしながら、砂漠の上をふらふらと彷徨う、主人公テグジュペリとプレヴォーの姿が哀れすぎる。この本が残っているんだから助かってるんだろうなおい…!? と途中でやきもきする。助けに巡りあい、水を飲む二人の描写もすさまじい。水を数行にわたって神格化してる。

 こういう冒険を経験した人間として、「人間の本然とは」ということを作者は考える、「虐殺されたモーツァルト」に心なやませる。冒険や、死ぬほどの苦労は確かに人間のある才能を開花させるに違いないし、そのときからおそらく人は、いままでとは全く違う、縦にも横にも広い世界のなかに放り出されるのだろう、が…。

 ちぇ、冒険野郎め、君子は危うきに近寄らずに、その境地に到達したいと思うんだけれども、それじゃやっぱり、甘いのかな。