日月星辰ブログ

Vive hodie.

書くと言うこと

もはやこの類の問題には自分で答えを出しているが、どうも覚悟の程が揺らいでくると、ついつい、久美沙織「新人賞の獲り方教えます」とか、栗本薫「小説道場」とか手を出したくなる。なるけれども、図書館で借りるぐらいで最近は踏みとどまっています。

のっけからハズカシイ話で恐縮です。小説を書きたい書きたい等と言っているやつは滅ぶべき、唾棄すべき、「書きたいと思ったそのときには! すでに書いているものだぜ」とはいうものの、つねにふにゃふにゃなのでこういった恥ずかしくも痛々しい「書きたい人」の話にも大いに共感するところがあるし、自分もその端くれだと思っています。思っているからハズカシイと思うのだ。多分。

で今日は久美沙織の「小説を書きたがる人々」をご近所の図書館で借りてきて90年代臭にうっとりしていたわけですが、そろそろ、この「書きたい人々てんこ盛り」の時代も終わったんじゃないかなー、と最近は思います。

だって、小説家という職業に、前ほど夢がなくなったもの。

今の時代、小説家になったって一攫千金はさしてねらえず、映画にぐらいなれば原作者印税ぐらいは入るかも知らんが、それだって一生左うちわで暮らせるかというと決してそんなことは無いに違いなく、そもそも、邦画のヒットが行ってもせいぜい興収10億で、しかもその原作がマンガ、みたいな世の中ですよ。作家になんかなるぐらいなら漫画家になったほうが儲かるし、ファンもつくというものです。

90年代よりも「作家」という仕事自体がきらびやかなものじゃなくなったような気もします。ので今、書きたいと思っている人間はきっとそこそこそぎ落とされたに違いない。この手の本で諸行無常を感じることなど、想像もしていなかったのですが。だって小説なんかかくよりも、ビジネス書とか自己啓発書とかで作家になったほうがもうかるだろうし、久美沙織が一貫してちくちく、言外に指摘する「書きたい人たちの自意識」も満たされるであろうから。

つまり則ち、書きたい奴はこれからが実はサバイバルじゃないかしら。それでもあんたは書きたいかい――? これに「はいな」と言えるぐらいの気概だけは、まだまだ持っているつもりです。

しかしでもさ、「小説家という職業の夢を削いだ犯人は誰だ?」とも少しだけ思うのでありますよ。しみじみとね。

追記:ばーっと書いたので書名とか著者名とかやばいほうこうで間違ってたので直しました。ひー。
追追記:こういうことは書けば書くほど恥の上塗りだとは思うけれども。格好つけない本来のところを吐露したつもり。