日月星辰ブログ

Vive hodie.

蟲師っつーまんがで、「生まれ故郷のものを食べると気が快復する」みたいなのあった

山形県産玄米のおかげであろうか…。

私の出身は点々として定かならず、まさに母のお腹から出てきたのは北海道の砂川市。午前二時・厳寒の北海道で月足らず、というからどんだけ迷惑な子供だと思うのだけれども、時代が違ったら間違いなく死んでいたこの条件でこの年まで生き延びたことを感謝せずにいられません。父母の生活圏は愛知県春日井市、その後しばらくで母の実家は山形県に移り、弟の誕生あたりでは母と一緒にこの山形で過ごした(このころすでに私は2才と3ヶ月の筈で、記憶があるのはまあ当たり前としても)のですが、父の実家・東根に魂は根ざしているのかも知れない。大きなアカシア杉の木が目印の旧家。居間の周りをぐるりと古風な渡り廊下が囲み、居間にはボンボン時計とこたつがかならず据えてあって(夏の記憶に乏しい)、ニコニコ笑った祖父母がいる。その背後にはにじり口みたいな不思議な引き戸があって廊下に通じており、いたずら者どもはここを鼠のようにするする通り抜けた。勝手口は台所の奥。台所は広くて、そこれ祖母はよくずんだもちをこさえており、ちょっとたべるのが怖い魔女の薬のような、茶色い小瓶に入ったお手製の梅干しがあったりした。
 お風呂は一段掘り下げたようなどまっぽいコンクリ貼りの脱衣所?の先にあり、当たり前のようにバランス釜で、ちょっとするとガス爆発しそうなおっそろしい大きなお湯炊き釜があって、それもむき出しの煙突つき、タイルは今は流行らない丸いのを敷き詰めたアレで、おトイレはもちろんボットン便所。ちいさな弟が初めて一人でトイレに行った際、あまりに戻りが遅いので嵌ったんじゃないかと心配したら、単に手水場で遊んでいたとの由。東北の田舎だから、さすがにトイレは戸外ということはなくてお風呂の先にあったが、その仄暗い空間がなんとなく怖かったのは誰しも共有する記憶であろう。
 トイレとお風呂の前の廊下を抜けると、また何が収まっているのか分かりかねる納戸があり、その先には二つほどの寝室、それに小さな絨毯敷きの部屋があった。絨毯部屋には人形やちっちゃいおみやげがたくさん入った飾り棚があって、どうも祖父母にいとこのお兄さん達が旅行に行く度に買ってきたおみやげがずらりと並んでいるのだが、決まってこの中の一つを私や弟に暮れたのが嬉しかったのを思いだす。人形棚にはあの地方にはお決まりの鷹の一刀彫の彫り物(これの正式名称はよく知らないけど、祖母は尊敬をこめて「お鷹ぽっぽ」と呼んでいた)やこけしがあって、女子らしくない私はこけしなんかより鷹の彫り物が気に入っていた。
 家の隅々には神棚があり、座敷の部屋には立派な仏壇があった。朝起きて顔を洗うと、祖母はそれらのすべてに手を合わせ、家内の安全の祈願と日頃の無事の感謝を捧げる。それを知ったのは中学生になったころ、祖母の亡くなるほんの少し前だった。