日月星辰ブログ

Vive hodie.

開高健 裸の王様

ゲストハウスの心地よく秘密めいた場所で読むのなら、といてもたってもいられずに閉店間際の京都タワーの三階の本屋で、開高健を買って来ました。

うん。ほんとは「生物としての静物」が欲しかったんですよ。何の気まぐれか、高校生時分の私が、まだ創業して日の浅かったヴィレッジ・ヴァンガードで買った、あの本。ヴィレヴァンは確か私の郷里から起こり、東京に渡って大成功したんだったと思うけれども、あの頃から私は大好きだった。ひたすら広い倉庫の中を埋め尽くすのは、まだその頃は大半が本で、しかもやたら目新しいものばかりを取り扱っていた。見慣れた本もあそこに並ぶとなんか見違えて見えて、妙にきらきらしてみえた。高いところの本とか、梯子使ってとったもん。

閑話休題。とにかくその本を買った動機だって、今思えばまんまとあの店の罠に釣られ、あのステキ空間から何とかして何かを持ち帰りたい一心で、散々苦慮して選んだんだった。なんかためになりそうで、当たり障りがなさそうで、かっこよさげであればよかった。言ってみれば何でも良かったわけで、開高を選んだのは全くの偶然。
その前後に予備校の練習問題で、開高作品を評した文章から「輝ける闇」を知ったり、これまたなんかで開高が孫文を書いてるらしいよ、みたいな情報を仕入れて何とか読みたいと思ったりしたけど、明らかに導入はあれだった。アジアとか、アラスカとかを旅するガラスのハートと感性の巨匠。かっこよくて趣味人で、でもてらいがありまくる作家。あのベトナムとかの描写がどうしても、読みたかった。

でも、ないんだもん、本屋に。

仕方無く「パニック・裸の王様」を買って、芋洗いみたいなタワー地下の風呂入って、帰って来たんだけれども、これ、いい。いや、ほんと、掛け値なしに、よい。大学生の時にも読んだけどあの頃は何一つ解っちゃいなかった。今だって、さして分かってる訳じゃないかも知れないけど、少なくとも、あの頃よりましになった。

濃厚な描写とか、心地よい文体のリズムとかにまんまと眩惑されていた。眩惑がお得意なのは当たり前で、開高はサントリー社員時代は超がつくほどの名コピーライターであり、物の本によると彼のコピーがきっかけでその世界に足を踏み入れたまたこれも名コピーライターがいるそうな。よーするになにも知らない小娘一人、文章のちからでひっかけるのなど訳もなく、まんまと眩惑されたとしても私は悪くない。

収録作品から、このごろ感性がかさかさである、と自覚症状もあったので、手っ取り早い回復を目論んで「裸の王様」を読んだんだけれども。

もう、ね。すいませんでした。
ディティルの書き込み、主題、プロット、どれをとってもすごすぎて、すぐ次の本を読むのがもったいないくらい。
初読のころ何でピンと来なかったんだろ?いや、皮相は金持ちのぼんぼんが絵の先生・僕のところにやって来て、その子があんまり子供らしくなかったものだから危機感を覚えた僕がなんとかしてその子を子供らしくしようと頑張る、みたいな話なんだけども。

開高健のすごいところは、常人や並みの作家だったらおもしろくない、と一蹴する材料を、バッチリフルコースの物語に仕立てちゃうところだと、思う。子供に絵を習わせる教育ママなんて、小説になるか〜?みたいな既存の価値観によらない。ありふれた日常からだろうが、なんだろうがドラマをつかみだす。もっともごく初期のそんな魔法は長続きしなかったようで、日常に堪えられなくなったのか、開高はヴェトナム戦争に記者として従軍ことになるのだが。
この「裸の王様」に出てくる子供たちも、どうにかして、堪えられない現実・日常と、絵を描くことで戦っているが…。やはりこれは、作者の姿なのだろうか?




そしてこれがゲストハウスだ!

なんか心地よく秘密めいた場所で、快適!こういうの苦にならないどころか、むしろ好き!どんなにうるさくても寝られるしな。