日月星辰ブログ

Vive hodie.

ダヴィンチ・コードを託された

聖杯とかマグダラのマリアとか最後の晩餐とか、なんかインディ・ジョーンズかアラマタヒロシか? と思っていたらテレビで荒俣さんがいらっしゃっていました。読まなきゃね。映画はみたい。
歴史的な考察とか、新発見って、現実にはたいてい、素人にはあんまりエキサイティングじゃない、じみーなものだったりしますよね。学説というのは、思うにエキサイティングであってはならないのだと思う。エキサイティングな学説はしばしば、盲信だったり、煽動だったりを生むんだろうから。学者というのは謙虚であるべきで、だからセンセーショナルな新発見なんてものは、所詮フィクションの中でしか実現不可能なものなのかも知れない。
ユダの福音書だって、ずいぶん昔に発掘されていたものだったわけであるし。そっと発掘され、じわじわと重要性が認識され、その後やっと、どうやらセンセーショナルな事実だったらしい、とうすぼんやりと判ってくる、というのが現実の手続きなのではないかと。そして、そうして学問が構築されていくということに、ひどく安心感をも覚えるのであります。
センセーションは作家だけの特権で善いと思います。