日月星辰ブログ

Vive hodie.

「白夜行」東野圭吾

白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

東野圭吾の作品は、実はあまり好きではない。
というか、はっきり言うと嫌いな部類に入る。
尊敬はできると思うが、好きにはなれぬ。

それがなぜかといいますと。

決して理系的な冷たさやもえのなさが理由なのではなくて、なんというか、あくまで男性的な、時に男根主義的なところにあるのではないか、と思うのです。男性作家にはそういうのがありがちだろう、という人もいるかも知れませんが、私はたとえば、北方謙三よりも東野圭吾によりはっきりとした男臭さを感じる。そうして男臭さとは、決して葉巻やダンヒルのライターやゴードンに宿るのではないのだ、と言うことを悟るのです。

東野圭吾の男臭さとは何か。性描写の何とも冷たい感じが、正体なのではないか、と私はかねてから思っていた。「学生街の殺人」とかね。ヘテロセクシャルとしての男臭さが、本能的な嫌悪や怯えにつながるのではないか、と。自分男性不信というわけでもないが、いわゆるそういう男臭さにはまだどこかに嫌悪がある。オタク女にありがちの少女退行傾向と言わば言え。強姦とか女性のなんとかシーンとか、そうでなくても普通のいちゃいちゃシーンとか、そう言うのを書くときの東野圭吾の冷徹な目がいやだ。しかしどうも、そればかりではないようなのだ。
思えば、伏線の周到さだって多分に男性的だ。「この道ぜったい近道だって」って言いながらよく分からん道を運転していくような伏線の周到さ。これもやだ。ああいやだ。男臭い。男性の方でこういう人いませんか。こっちゃ助手席で不安がっているのにやけに明確な確信を持ってハンドルを切る抜け道大王。そうして確かにまっすぐ行くよりずっと早かったりするのだ。でも納得いかぬ。「黙ってオレについてこい」気質とでもいいますか。

それから、飽くなき向上心というか野心というか。これも男臭い。作品は年々研ぎ澄まされ、次ぎに出すものは必ず前より良いもの、というイメージがある。全部追っかけたらさぞかし楽しかろう。私はよく知らないが。直木賞を受賞した「容疑者Xの献身」もものすごいという噂だし(読めよ)。「白夜行」より凄い作品ってなにそれ。想像つかないよー。この向上心がマニッシュだ。マニッシュでやだ。

10年ほど前の東野圭吾が、今の地位を築くことを予想していた人はおそらく、あまりいなかったに違いない。私がたしか大学2年のころ、ミステリ研の行事で講演会をしてもらったのだが、そのころはまだ知る人ぞ知る、というかんじだったように憶えている。それが。今や大人気作家。小説を研ぎ澄ます、というのがどういうことなのかは想像つかないが、東野圭吾はおそらく、自らの技術や才能を絶えず磨き抜いているに違いない。そうして着実に上質な作品をどんどん作り上げていく。そんな作家なのではないかな、と。

そういえばその大学の講演会でちらと拝見したお姿は、どちらかと言えば美形系の男性でしたが、やっぱり作品を読んだときの男臭さをかけらも払拭してくれなかった。よりいっそう、ああ男臭い、と思ったばかりだった。

この「白夜行」もまた、そんな男臭さにあふれた傑作でした。完璧なる合理にして、周到な計算。とてもおもしろく読めた。しかしねえ、やっぱり唐沢雪穂は女の皮をかぶった男だと思う。そのくせ端役の女性たちはちゃんと女の子だったりするんだな。そこにまた東野圭吾の女性観察の鋭さと冷たさを感じてイヤなんだな。