日月星辰ブログ

Vive hodie.

建仁寺で

おぼうさんの生活の紹介ビデオを見て、一生懸命掃除をするお坊さんを見、「一に掃除、二になんとか」という禅の教えを聞いたところ、にわかに掃除がしたくなり、今日は部屋を若干片付けました。黙々とやると何となく楽しくなってきた。掃除嫌いがへんなところで直ってしまいました。これが信仰の力とか言うやつか。
思うに、信仰というのは、勧誘されたり、強要されたりして芽生えるものではないのだなあと思いました。現在の言葉では「自立心」とか言われているところのものがすなわち、信仰心なのでは。末法にもひとはがんばる。
新興宗教は今でもダメですが、数千年の伝統を誇る日本仏教は私にとってはとてもなじみ深いものです。といって、伝統仏教だって、お葬式にはえらく金取るじゃないかとか、言ってはいけません。死ぬ前までに仏教の修行をしてこなかった人が突然、死ぬときになって出家してえらくなりたいといいだすのですから、何らかの理不尽は生まれる訳なのではとおもいます。だからといって、高い戒名を無理にうりつけようとするお坊さんがいるとすればそれはかなりダメだと思いますが。
戒名の問題は置いておいて。
 
新興宗教がダメな理由は、あのきっつい勧誘にあるとおもう。お金が安くても、勧誘がきっつい団体は何でもダメです。ボランティア団体でも、大学サークルでも。「もし、気に入ったのだったら、どうですか?」どころか、「…本当にはいるんですか?」ぐらいのほうが。
禅寺は修行しに入ろうとすると、はじめほうきで追い返されるそうですね。そういうのがすてき。
 
ああ、そう言えば仏教は本来、そういうものだったのだ。「出家」とは家を出てまでも坊さんになりたいのか、なるかくごはあるのか、という行為だったのだ。すてき。