日月星辰ブログ

Vive hodie.

血中三国志濃度は、宮城谷昌光で高める。

 買ってしまいました宮城谷『三国志』。「四知」からつぎの「諸賢」のあたりまで読みましたが、あれだ。
 「うわー曹騰から始まってるよ!」
 もっと言うと、
 「っていうか、ぶっちゃけ光武帝から始まってるし!」
 後漢王朝設立前から始まっています。
 ちらっと1巻最後を見てみたら
 「順帝」って書いてあった。
 霊帝ですらありません。順帝。気の長い話です。
 ただし、今まで気にも留めてなかったバックボーンのようなものがはっきりする気がして、寧ろこんな本待っていたような気がしますよ。
 三国志世界のバックボーンっていったって、初心者の私には、思想としては「孫子」「戦国策」、それに出始めと思われる「老子」、それに渡来したての仏教、有名人といえば史記漢書に載ってるような人たち、というぼんやりとしたイメージしかないものですから、宮城谷先生に「このころ、厳光と梁鴻を知らぬ人はいない。」とか、するっと書かれると、ふむふむと思わず肝にしまってしまうのでした。厳光、いきなりよろしげなキャラクターで、ドキドキしました。隠者よ! 隠者。しかも光武帝に惚れられて仕方のない隠者よ! 
 良い隠者は、やはり時の権力者の心を惑わせなければならないですよ。召抱えたい、傍においていろいろお話したい! と思わせ、普段どんなに傲慢な王様も恋する乙女のようにやきもき、にもかかわらずそれをむげに突っぱねる。そんな関係性が、隠者をすてきに輝かせるのであります。関羽曹操の関係にも似ており。

 しかし宮城谷三国志は基本的に、「淡々と史実を記録するよ」という感じですので、(「淡食べ」の方は新潟の方らしいですね。お見舞い申上げます)このままさくさく進んで、多分今までの三国志で散々ずるずるべったり、いろんな演出や脚色を施された事件についても、淡々と、史実とほんの少しのカギカッコで乗り切ってしまわれるのではないかと愚考いたします。それこそ、遼来来2行とか。というより、どうも列伝形式のようですので、「臧覇は、泰山郡華県の人である。…」みたいな淡々ぶりなのではなかろうかと。
 なんにせよ1巻買っちゃったので、読むんでしょうが。